神話伝承探訪

海幸彦・山幸彦神話

高屋山上陵


高屋山上陵

■高屋山上陵概要 ■ご陵墓 ■比定地の変遷 ■天皇家ご参拝 ■考察


高屋山上陵


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■高屋山上陵概要■
神代三大陵のひとつ、
御神体は彦火火出見尊
(山幸彦)
と古事記にある。

皇室の御先祖として
初めて日向の国を治める。

御霊は鹿児島神宮
にまつられている。	









ご陵墓の参道入り口に建つ碑
鹿児島空港からは
バスもあるが日に3便と少ない
タクシー利用をお勧め
参道の石段は
ご覧にように結構急坂だ、


静かな参道だ。
たまに下の道路を走る車の音が
空港が近くにあるとは
思えない。
ご陵墓
全体を撮影するのは
少々足場が。


宮内庁の案内板
立派な石碑が建っている



  1. 場所:霧島市溝辺町
  2. 北緯31度49分15秒,東経130度41分41秒
  3. 交通:車で約15分、バスもあるが本数が少ない。
  4. ○北緯31度49分15秒
    ○東経130度41分41秒


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ご陵墓比定地の変遷

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■天皇家御霊とご陵墓■
では、 天皇家のご陵墓は どこにあるのだろうか 「日向神話」関連を あげると

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  1. 三代陵:高屋山上陵/吾平山上陵/可愛山陵
  2. 「高屋山上陵」は、鹿児島だけでも、伝承地として次がある。
    • 加世田・宮原・鷹屋山
    • 内之浦・高尾山
  3. 江戸時代の本居宣長の「古事記伝」によると、 「可愛山陵」だけでも7箇所存在。
  4. 明治になり「御裁可」で、現在の場所に制定された。
  5. 比定地を巡って血を流すような 争奪戦を展開した悲しい歴史がある。 (宮崎の高千穂地方と当地鹿児島)


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■天保14年(1843)
 三国名勝図会編纂時は
 ====>>大隅国肝属郡内之浦邑の高尾山


■明治元年(1868)
 三島通庸らが

■明治3年(1870)
 田中頼庸らが

■明治6年(1873)
 樺山資雄が

■明治7年7月10日
 三山陵御治定の際には
 ====>>姶羅郡溝辺邑の鷹大明神社
        に変更

■明治10年(1877)頃か
 薩隅日地理纂考編纂では、
 ====>>姶羅郡溝辺邑の鷹大明神社





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天皇家ご参拝

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■明治5年6月  明治天皇が鹿児島県に臨幸の時  奉幣使を派遣。 =====>>肝属郡内之浦邑の高尾山 ■明治7年7月10日  三山陵御治定の際には  ====>>姶羅郡溝辺邑の鷹大明神社 に変更 ■明治40年(1907)10月28日  皇太子(大正天皇)の代理として  侍従の有馬純文がそれぞれご参拝 ■大正9年(1920)3月30日 皇太子(昭和天皇)が東郷平八郎を伴ってご参拝 ■昭和37年(1962)5月 皇太子(今上天皇)と皇太子妃(美智子)がご参拝 ■


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考察

pin.gif ご陵墓調査で 古来からの伝承地の 肝属郡内之浦邑の高尾山 を 現在の溝辺町に変更した 根拠はこの辺りか 風土記逸文に次がある

薩摩國

竹屋村 (塵袋 第六)

風土記ノ心ニヨラバ、
皇祖?能忍耆命(ほのににぎのみこと)、
日向ノ國贈於ノ郡、
高千穗ノ漶生ノ峯ニアマクダリマシテ、
コレヨリ薩摩國閼駝(アタ)ノ郡ノ竹屋ノ村ニウツリ給テ、
土人、竹屋守が女ヲメシテ、
其ノ腹ニ二人ノ男子ヲマウケ給ケルトキ、
彼ノ所ノ竹ヲカタナニツクリテ、
臍ノ緒ヲキリ給ヒタリケリ。
ソノ竹ハ今モアリト云ヘリ。
此ノアトヲタヅネテ、
今モカクスルニヤ。

(今井似閑採択)



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