神話伝承探訪

天孫降臨の神話を辿る

龍馬・頂に立つ

高千穂峯
高千穂の峯

♡♡龍馬・初の新婚旅行 ♡♡龍馬の新婚旅行を辿る ♡♡龍馬と西郷 ♡♡考察


♡♡龍馬・初の新婚旅行♡♡


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幕末・勤皇の志士
坂本龍馬
もこの高千穂峯を
踏破したことを
ご存知でしょうか。

何でも
新婚旅行で
ここに訪れたらしいのです。


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pin.gif 幕末のあの有名な 「池田屋騒動」で 背中に刀傷を負った龍馬を 痛んで西郷隆盛が 湯治に招待したという。 oryu
その池田屋で 間一髪脱出の手引きをした お竜さんとの 新婚旅行。 その後、 郷里の姉に宛てた 龍馬の手紙が残っていた。 ryoma_fumi
慶應2年12月4日 龍馬から 実家の実姉・乙女 宛の文 登山の模様をスケッチ入りで
ryoma_fumi
■高千穂の峯から振り返り見たお鉢■
火口の縁が登山道で「馬の背越え」と呼ばれ
龍馬の文にも出てきます。 馬の背越えとお鉢動画 ☆龍馬とお竜の写真は 観光パンフレットをスキャンしました。


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♡♡龍馬の新婚旅行を辿る♡♡

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  • 龍馬の手紙を元に そのルートを辿ってみた
  • 慶応2年(1866年)

    
    
    ♡♡新婚旅行の文面♡♡
    pin.gif 正月二十三日ののちナリ 今日の屋鋪ニおる内、 二月末ニもなれば 嵐山にあそぶ人々 なぐさみにとて 桜の花もて来り候。 中にも中路某の老母 神道学者奇人也 ハ実おもしろき人也。 和歌などよくで来候。 此人共私しの喋しおもしろがり、 妻をあいして度々遣をおこす。 此人ハ曽て中川宮の姦謀を怒り、 これおさし殺さんとはかり人也。 本禁中ニ奉行しておれバ、 右よふの事ニハ、 冘遣所おおき人ナリ。 公卿方など不知者なし。 是より三日 大坂ニ下り、 四日に蒸気船ニ両人共のり込ミ、 長崎ニ九日ニ来り 十日ニ鹿児島ニ至り、 此時京留居吉井幸助 もどふどふニて、 船中ものがたりもありしより、 又温泉ニともにあそバんとて、 吉井がさそいにて又両りずれにて 霧島山の方へ行道にて 日当山の温泉ニ止マリ、 又しおひたしと云温泉に行。 此所ハもお大隅の国ニて 和気清麻呂がいおりおむすびし所、 蔭見の滝の布ハ五十間も落て、 中程にハ少しもさわりなし。 実此世の外かとおもわれ候ほどの めずらしき所ナリ。 此所に十日計も止まりあそび、 谷川の流にてうおおつり、 短筒をもちて鳥をうちなど、 まことにおもしろかりし。 是より 又山深く入りて きりしまの温泉 に行、 此所より 又山上ニのぼり、 あまのさかほこ を見んとて、 妻と両人ずれニて はるばるのぼりしニ、 立花氏の西遊記 ほどニハなけれども、 どふも道ひどく、 女の足ニハなけれども、 ども、とふとふ 馬のせこへ までよじのぼり、 此所に ひとやすみして、 又はるばるとのぼり、 ついに いただきにのぼり、 かの天のさかほこ を見たり。 ryoma_fumi 其形ハ 是ハ たしかに 天狗の面ナリ、 両方共ニ其顔が つくり付てある。 からかね也。 まむきに見た所也。 やれやれと こしおたたいて、 はるバルのぼりしニ、 かよふなるおもいもよらぬ 天狗の面があり、 大ニ二人りが笑たり。 此所に来れバ実ニ高山なれバ 目のとどくだけハ見へ渡り、 おもしろかりけれども 何分四月でハまださむく、 風ハ吹ものから、 そろそろとくだりしなり。 なる程 きり島つつじが 一面にはへて 実つくり立し 如くきれいなり。 其山の大形ハ 霧島山より下り きり島の社にまいりしが 是は実大きなる杉の木があり、 宮もものふり極とふとかりし。 其所ニて一宿、 夫より 霧島の温泉の所ニ至ルニ、 吉井幸助もまちており、 ともどもにかへり、 四月十二日ニ 鹿児島ニかへりたり。 夫より六月四日より 桜島と言、蒸気船ニて 長州へ使を頼まれ、出航ス。 此時 妻ハ長崎へ 月琴の稽古ニ行たいとて 同船したり。 夫より長崎のしるべの所に頼ミて、 私ハ長州ニ行けバ はからず 別紙の通り軍をたのまれ、 一戦争するに、 うんよく打勝、 身もつつがなかりし。 其時ハ長州候ニも お目ニかかり色々御達しあり、 らしやの西洋衣の地など送られ、 夫より国ニかへり 其よしを申上て 二度長崎へ出たりし時ハ、 八月十五日ナリ。

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    高千穂河原からの高千穂
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    高千穂河原の古社
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    お鉢への道
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    お鉢への道から河原
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    馬の背 越えからの高千穂峯
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    馬の背 越えからの高千穂峯
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    馬の背越え
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    馬の背越え
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    お鉢のつつじ
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    お鉢のつつじ
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    馬の背越えからの高千穂峯
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    お鉢と馬の背越え
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    高千穂の峯山頂
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    高千穂の峯山頂
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    霧島神宮大鳥居と高千穂の峯
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    霧島神宮
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    神宮〜河原
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    神宮〜河原

    
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    吉井しきりに
    転地療養を勧む。
    龍馬すなわち龍子を携えて
    日当山温泉に遊び、
    しばらくして潮漬の
    温泉に移りぬ
    
    
    
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    浜の市
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    熊野神社
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    富隈城からの霧島
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    隼人塚
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    大隅一宮:鹿児島神宮
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    日当山温泉からの霧島山
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    塩浸温泉
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    和気の湯
    ■ 浜の市〜隼人塚〜鹿児島神宮〜日当山 ■ 浜の市から 最初の湯治場 「日当山」(ひなたやま) へは 霧島を望みながら 北上する 大隅正八幡宮 への参道だ (現在は旧道となった)
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    日当山温泉の渡
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    菅原神社の磨崖仏
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    小鹿野の薬師堂磨崖仏
    この右手に旧道(山道)
    KIRISHIMA古道の磨崖仏(風化)
    この峠を通って稼原へ
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    稼原からの霧島山
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    犬飼滝(裏を通れる)
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    旧妙見神社
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    塩浸温泉
    ■ 塩浸温泉〜犬飼〜稼原〜小鹿野・古道〜日当山 ■ 日当山温泉から塩浸温泉へのルートは はっきりしていない。 一応、旧道を掲載した。 ○日当山の渡し場〜現在の医療センター〜菅原神社〜花山〜小鹿野 ○小鹿野〜薬師堂〜古道〜稼原〜犬飼〜犬飼滝・和気湯〜塩浸温泉 古道の峠には、写真のような磨崖仏が鎮座されて いたのだが、現在は無い。 また、崖には小さな磨崖仏がある(薬師堂近くの山道)

    ♡♡新婚旅行の日程♡♡

    訪問地摘要備考
    1/21京都薩長同盟西郷隆盛(吉之助)と桂小五郎、仲介する
    1/24京都池田屋騒動不意打ちで肩負傷,伏見奉行所
    2/29大阪龍馬・お龍結婚中岡慎太郎媒酌
    3/4大阪薩摩藩船「三邦丸」大坂出港西郷吉之助
    中岡慎太郎
    三吉慎蔵
    お龍
    3/10鹿児島滞在小松邸や吉井邸に宿泊
    3/16?鹿児島〜浜の市
    浜の市〜隼人塚〜大隅八幡〜日当山
    歩約1時間
    3/16日当山温泉逗留(龍宝宅?)〜妙見〜安楽?
    足跡不明
    3/17塩浸温泉逗留
    鉄砲で鳥を撃つ
    和気神社・犬飼滝
    〜牧園麓〜硫黄谷
    3/28霧島硫黄谷温泉逗留小松帯刀の隠し湯とも
    帯刀は療養湯治
    3/29高千穂峯絵手紙・馬の背越逆鉾を引き抜く
    3/30霧島神宮に参拝霧島神宮前温泉逗留下山時
    4/1霧島温泉逗留吉井幸助と逗留
    4/2塩浸温泉逗留鉄砲で鳥を撃つ・散策
    4/8日当山温泉逗留西郷どん湯か?
    西郷と狩?
    4/12浜の市発・鹿児島へ大隅八幡参拝?
    4/14鹿児島開成所(館)元治元年(1864)に薩摩藩創設の洋学校
    5/29鹿児島西郷隆盛に会う当時は吉之助
    6/2鹿児島発「桜島丸」で鹿児島出港 長州へ使者、長崎経由で京へお竜は長崎滞在


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    • この時、龍馬32歳、お竜27歳、 実に鹿児島滞在88日の長きに渡った。 二人にとってはこの新婚旅行が 至福の時だったのだろうか。 魚を釣ったり、ピストルで鳥を撃ったり、 高千穂の峯では逆矛を引き抜いて 笑い転げたり。。
    • 傷の治癒湯治と新婚r旅行を兼ねての 長旅であった。 龍馬は、左手の親指と人差し指に 右手は親指と中指に傷を受けていて 特に左手の人差し指は腱を切り 後遺症が残ったとある。
    • 「新婚旅行」としてはこれが初見である。 当時の二人を偲び、現在「龍馬ウォーク」として 毎年初春ののどかな散策を実施している。
    • 翌年の慶応3年11月15日(1867年) 坂本龍馬・中岡慎太郎 近江屋で襲撃される 龍馬享年33歳。
    • 寺田屋のおかみ「おとせ」が 11日に龍馬暗殺を察知し知らせていたが、、 「公武合体」に奔走していた龍馬は 意に介していなかったようだ。
    • 龍馬の夢: それは現在に通ずる「海外貿易」 土台は数年前に設立した「海援隊」 慶応元年(1865)長崎で社中(亀山社中) のちに海援隊へ発展する。 薩摩藩名義で銃器弾薬を買い付け それを長州へ転売している。 薩摩藩からの信用は絶大だったことが 垣間見られる。
    • その翌年慶応2年(1866) 龍馬の仲介により 京都で長州の桂小五郎(後の木戸孝允) と薩摩の西郷隆盛薩長同盟を妥結している。
    • 龍馬暗殺の後に西郷も 征韓論に破れ故郷の鹿児島で没す。
    • この二人が存命なら 後の日本はどんな進展をみせて いたことだろうか。
    犬飼滝 塩浸温泉への路すがら 犬飼滝と高千穂の峯


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    ♡♡龍馬と西郷♡♡

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    ◆龍馬と西郷の出会い◆

    龍馬は 武市半平太の率いる 土佐勤皇党に在籍していた。 文久2年(1862)、 江戸へ赴き、 当時の幕府の重鎮 勝海舟に会っている。 勝海舟の思想に 大いに感銘し門下生となった。 その勝海舟が しきりに西郷隆盛を褒め称えるので 海舟の添書を携え西郷に会っている。 龍馬の西郷観 「西郷と云う男は 一度会っただけでは どうもよく判らない。 此方が少し叩けば少ししか 大きく叩けば大きく響く もし馬鹿なら大馬鹿だが 利口ならこれはたいそうな 大利口だろう」 と漏らしたそうだ。 激動の時代を駆け抜けた 若き志士の群像は.......
    名前生年月日死亡月日摘要
    ■坂本龍馬天保6年11月15日(1836年1月3日)慶応3年11月15日(1867)31歳暗殺
    ■お龍天保12年6月6日(1841)明治39年(1906年)66歳晩年アル中・西村松兵衛と再婚
    ■西郷隆盛文政10年12月7日(1828)明治10年9月24日(1877)49歳・西南の役自決
    ■島津斉彬文化6年3月14日(1809)安政5年7月16日(1858)49歳毒殺?
    ■小松帯刀天保6年10月4日(1835年)明治3月7月20日(1870)36歳病死
    ■勝海舟文政6年1月30日(1823)明治32年1月21日(1899)77歳・江戸育ち
    下級武士である 西郷大久保、 それに龍馬。 取り分け身分制度が厳格だった 薩摩に置いて、 彼らに活躍の場を与えたのは 勿論、 島津藩主斉彬 だが 藩主の命に従い資金調達や交渉の 段取りを一手に担ったのが この 家老職の帯刀 だったと云われる。 帯刀無くして西郷と龍馬の縦横無尽の 活躍は無かっただろうとも。


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    ♡♡考察♡♡

    pin.gif ryoma
    塩浸温泉の龍馬像
    1. 幕末時代には、高千穂の峯が 「天孫降臨の地」として認知して 広く知れ渡っていたと云うことだろう。 「平家物語の足摺」では俊寛等が この霧島六所権現社に参拝している。 この時、既に認知されていたと見える。
    2. 浜の市から最初の温泉湯治場「日当山」 (ひなたやま)へは 霧島を望みながら北上する八幡様への参道だ (現在は旧道となった)。 (浜の市〜隼人塚〜鹿児島神宮〜日当山)
    3. 日当山温泉から塩浸温泉へのルートは はっきりしていない。 一応2通りのルートが
      • ■1:現在の223号線ルート 現在の223号線を北上して 妙見温泉・安楽温泉を経て塩浸への道と
      • ■2:現在の松永・古道ルート 大津川(現在の天降川)と霧島川を渡り 隼人医療センターの東側(夕暮れの関) へ出て北上し古道から九十九折坂を登り 中津川へ出て塩浸への道の二つがある。 現在、その大津川の渡し付近に 龍馬記念碑が建っている。 この渡しは、2尺(60cm)程の木板を敷いた 橋だったそうだ。 現在の河川敷の堤防は無い。 河川の氾濫時は山手側近く迄冠水していた。
      watashi.jpg 大津川の渡し(現在の天降川) 遠くに白銀に輝く霧島・高千穂峯が。 この渡しを通った確証は無いが。。
    4. 次に、逗留地だが 日当山では、西郷が好く泊まった「龍宝宅」か? 現在、奈気木の杜に復元家屋がある。 湯治場は、日当山側に4軒 川を渡った姫城側に2軒程。 いずれも簡単な坪湯。 河川氾濫時は当然冠水して利用できなかった。
    5. また、霧島での逗留も「硫黄谷温泉」の 確証が無いようだ。 家老小松帯刀(たてわき)の隠し湯・栄の尾湯 (現岩崎ホテルの北方) とも云われている。 (近くに有名な「明礬湯」が在るのだが その湯治場については触れていないようだ)
    6. 実際のところは家老の帯刀(たてわき)が 招致したようだが。 帯刀はこの温泉で永湯治中でその見舞いも兼ねて 来た様だ。
    7. 霧島神宮にも参拝している模様。 その近くの温泉に逗留している。
    8. 現在の「龍馬ウォーク」は、 霧島神宮から高千穂河原への 参道ルート(登山道)を散策するのだが車が 高千穂河原迄入るのでこのルートは荒れている。 龍馬ウォーク用の目印が所々に下がっているので ルートを誤ることは無いが、 樹林帯の為日中で無いと歩行は難儀だ。 (午後3時以降はお勧めでは無い)
    ■ 参考資料 ■
    NO 参考資料 著者 発行 区分 摘要
    龍馬の手紙 宮地佐一郎 講談社学術文庫 1 神話・歴史探訪
    坂本龍馬歴史大辞典 --- 新人物往来社 3 歴史・寺社探訪
    坂本龍馬男の行動論 宮地佐一郎 PHP文庫 3 歴史・寺社探訪
    検証坂本龍馬の全仕事 --- 新人物往来社 3 歴史探訪
    幕末京都志士日誌 --- 新人物往来社 3 歴史探訪
    一個人・坂本龍馬の真実 --- KKベストセラーズ 3 歴史探訪
    幕末維新動乱の群像 --- 新人物往来社 2 歴史探訪
    かごしま歴史散歩 原口泉 NHK鹿児島放送局編 2 歴史・寺社探訪
    西郷隆盛 池波正太郎 角川文庫 2 歴史・寺社探訪
    鹿児島県の歴史 山川出版 2 歴史・神話探訪
    鹿児島県の歴史散歩 山川出版 2 歴史・寺社探訪
    街道をゆく 司馬遼太郎 朝日新聞社 3 歴史・寺社探訪
    日本を変えた薩摩人 芳即正 春苑堂出版 2 歴史探訪
    ■1:一次史資料:古文書・出典 ■2:ニ次史資料:鹿児島関連 ■3:三次史資料:一般歴史書
    keikoku
    こんな所を歩いたのだろうか
    kayama
    目指す霧島の山浪が。。


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