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歴史探訪 南九州


弥五郎どん祭


弥五郎の分骨が埋葬された
という国分の鎮守神社

目次
★弥五郎どんとは?/ ★弥五郎の墓/ ★熊襲(隼人)の抗戦/ ★弥五郎と放生会/ ★弥五郎祭 ★豊川の弥五郎 ★考察


弥五郎どんとは、どんな人物?


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諸古記を読んでいたら

あの巨大人形の
浜下り(放生会)で
有名な「弥五郎」
が出てきた。

また、弥五郎は
隼人の末裔とも。

興味を惹いたので
ちょっと調べてみた。




○大人之穴

 右敷根宗廟剣大明神詞官瀬戸口但馬、  元禄11年寅11月15日  神社由緒書差出留写  剣大明神御拝殿・善神王両社、  石鳥居御修甫御祭米年両度被下候、  右大隅五社の一社韓国宇津峯神社、  上代者宇津峯頂上御立被成候、  中古御殿其下奉移、  剣大明神申候、  彼宮所年暦久敷御座候善哉御神木等物旧候、  剣大明神申事、、、、、  -------- 中略 ------- 一ノ宮止上権現、二之宮大明神、 大穴持之神社、宇津之峯神之神社、宮浦神社  -------- 中略 ------  熊周之裔孫大人弥五郎  右退治之折節、宇津峯神就中霊新剣のことく現給ふ、  故に剣大明神と奉唱由候、  魔性退治之神達を五社と申事  忠久公御下向之時、本田殿國府新城を御持折、  近方皆領地之時、御城鎮守として新城鬼門之方に勧請被成候、  五社大明神と奉申候、  御神躰右之五神に賀茂・春日を添、七社御崇被成候
======= 出典:国分諸古記 ====== ○大人:ひじり(聖人) 講談社学術文庫 日本書記 宇治谷 孟 p107:神武天皇・宮殿造営


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弥五郎は一体何者だろうか。
熊襲(隼人)の末裔だったとも云われるが。
果して。。
当地では、弥五郎についての伝承は少ないが、
他方では盛大なお祭があるという。

別項で記載したように
現在(2007年)三箇所で
祭りが開催されている。

■長男:都城市山之口・的野正八幡
■次男:曽於市大隅・岩川八幡
■三男:日南市飫肥・田上八幡

これらの祭事から
「弥五郎は三人兄弟」
と伝承されているそうな。



弥五郎
☆山之口・弥五郎祭☆


  • 背は;大人弥五郎と云われているから かなりの長身 このように受け取っての巨大人形だろうか。
  • 顔は:アカラ顔
  • 兄弟は:3人居たらしい
この恰好からして想定すると ====>>「渡来人」それも[西洋人]では? 「猿田彦」が転じて、 大明神信仰(密教)時代の天狗と同化した?


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神道の霊号(れいごう)

仏式の戒名に当るものは

霊号

と云い
その方の人生経験を加味し
神社の神職から授かります。

霊号は氏名の下に

「命(みこと)」

の号をつけた
「○○○○命」
という霊号が一般的

「命」の前に、
男性の場合「大人(うし)」
女性の場合「刀自(とじ)」
をつけ

「○○○○大人命」
「○○○○刀自命」
とする場合が多い。

尚、子供の場合「彦」「姫」を
つけることもあります。



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弥五郎の墓

pin.gif 同じく古記によると
神楽所拍子川申所、 國府上小川村之内干 今拍子川申所有之候、 弥五郎鬚同所同村 村之内御ふろが山埋、 鼻同所同村村之内鼻面川埋、 四肢同所野口村枝之宮埋、 ======= 出典:国分諸古記 ======
この国分界隈に 「弥五郎」を 祭祀する神社が 点在するという。 益々面白くなってきた。 尚、 古墳にも 「弥五郎塚」 と呼ばれるものがある。 それは、 新田原古墳群の48号墳。 全長が95mもあるところから いつしかそう呼ばれるように なったのだろうか。

弥五郎祭祀神社の検証

  1. 弥五郎は熊襲の首領だったといわれているが。。。
  2. また、弥五郎は死後分骨されたという(最初の火葬)。
  3. 弥五郎を祭祀する神社は国分界隈に4箇所点在する。
    1. 神楽所拍子川申所、 國府上小川村之内干今拍子川申所有之候、 ===>>拍子川(橋)碑有り
    2. 弥五郎鬚同所同村村之内御ふろが山埋、 ===>>福島:鎮守神社
    3. 鼻同所同村村之内鼻面川埋、 ===>>清水:鼻債山(はなずらやま)、若宮神社
    4. 四肢同所野口村枝之宮埋、 ====>>野口松木: 枝宮神社 野口: 小烏(こがらす)神社 候説申伝有之候得共不詳、熊周之事
  4. 弥五郎鬚同所同村村之内御ふろが山埋 ここで云う「御ふろが山」だが、 どの辺りだったのか判明していないそうだ。 2000年現在、福島の鎮守神社の位置だが、 別の神社だった可能性が強いのだ。(八龍権現社) なぜなら、三国名勝図会には、この神社の記載はない。 但し、古記には記載がある。 ===>>p186,p190
  5. また、福島から東方は、戦前、飛行場として 整備された ので、そこにあった鎮守神社を 遷座したのだそうな。
  6. 昭和45年、この付近の伝承の地:鼻債山( はなずらやま)現在の第一工大から骨壷が出土し 実証されたというが.....
  7. 全て現在は神社として祭られ小高い丘で 国分平野を見下ろす格好の場所。
  8. また、いずこからも、 比売乃城が よく見渡せる。 ===>>小烏(こがらす)神社からの比売乃城と 遠く霧島連山が。。
  9. 一時期鹿児島神宮の別宮だった 蒲生八幡神社の境内社「早風神社」 はこの 「大人隼人(火照尊)」 を祭祀する。

    蒲生八幡


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熊襲(隼人)の抗戦

  • 出典:続日本紀 No:巻-頁

    出典元号西暦首領朝廷側要因
    1-3,5,6天武3699---太宰府をして、三野、大隅国稲積の二城を修せしむ
    2-7,8文武4700薩末比売日本武尊?
    6-2和銅6713
    6-5和銅7714平定のため、豊前国から移民す(200戸)
    8-8養老4720川上尊師(弥五郎)大伴宿弥旅人大隅国守陽候史麻呂(やこのふひとまろ)殺害に発する抗戦
    8-15養老5721隼人討伐1,400人
    9-6養老7723報償に不服

  • 参考資料:埋れ木「上代諸学」

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    弥五郎と放生会

    pin.gif 720年の隼人の反乱後、 全国で疫病が流行り隼人の呪いを恐れ、 放生会を行なった。 その時に先払いとなったのが、 「弥五郎」の巨大人形である。 身の丈4m85cm、 朱面を付け、 大小の刀を差し 山車で練り歩く。 また、 相対した宇佐神宮では 「隼人の放生会」 を行っている。 聖武天皇が、 「天下泰平・五穀豊穣」 を祈願して 全国に国分寺を建立したのも この天平年代である。 (天平13年:741 大隅国分寺建立の詔)

  • 宇佐神宮の放生会については豊後国の写真風土記が詳しい。
    弥五郎 ☆岩川弥五郎☆

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    弥五郎どん祭

    pin.gif 当地では 「弥五郎」に関しての 祭りは無いのだが 他方で盛大な浜下りが 開催される。 何と弥五郎には 兄弟があった。 それも3人居たそうな。
    ○的野正八幡宮(長男)○

    ○岩川八幡神社(次男)○

    • 開催日: 11/3:浜下りPM1〜4
    • 開催場所: 鹿児島県曽於市大隅町、岩川八幡神社
    • 問い合わせ先: 鹿児島県曽於市大隅町岩川八幡神社:0994-82-1211
    • 交通: 空港バス:鹿児島空港〜志布志行:岩川下車  
    • お勧めスポット:  鹿児島神宮の分社:大隅投谷八幡、  岩屋観音、入角の田の神  
    ○田ノ上八幡神社(三男)○
    • 開催日: 11/23:AM8〜,浜下りAM9〜15
    • 開催場所: 宮崎県日南市飫肥、 田ノ上八幡神社
    • 問い合わせ先: 宮崎県日南市:0987-23-1111
    • 交通:  空港バス:鹿児島空港〜宮崎行:分  JR日豊本線南宮崎駅乗り換え〜日南線飫肥駅  
    • お勧めスポット:  飫肥(おび)城下町、鵜戸(うど)神宮、坂元棚田

    2004年新幹線開業パレードで 鹿児島市の天文館を練り歩く


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    豊川市にもあった「弥五郎」

    pin.gif 「弥五郎」 をネットでサーチしていたら 稲荷神社で有名な「豊川市」にも 地名が残っていた。 そこで早速最寄へメールして 資料をご送付頂いた。 「弥五郎」の地名のある 町名は「八幡町」 ご送付頂いた冊子によると この「弥五郎」の地名は 古来 「弥五郎天王」 が祭ってあった その名残で、小字として 「弥五郎」「上・下天王」 等が散見される。 ということらしい。 「弥五郎」のある「八幡町やはた」 は宇佐八幡宮から勧請した 八幡宮のある町。


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    考察

    pin.gif ■弥五郎天王■ 愛知県津島市 に鎮座する 「津島神社」 は この牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)の 総本山である。
    ここにある「弥五郎殿」の由緒には 次のようにある。 祭神は 大巳貴命(おおなむちのみこと)と武内宿祢 武内宿祢の子孫の堀田弥五郎正泰が、 正平元年(1346年)に造替した縁故を以て 弥五郎殿とした。
    また、 祇園さんの愛称で親しまれる 京都の八坂神社 の主祭神は この牛頭天王である。 ■牛頭天王■ 牛頭を頭につける忿怒相。 白牛にまたがり 甲冑を着た三面十二臂像もある。 右手に斧、左手に索を持つ。 ご利益は: 疫病避け 除災  農作物の病虫害予防・除去で 薬師如来を本地仏とし、 神道における須佐之男命と 同体であるとされている 田舎の農村地帯では 牛馬の神、疫病避けの神として 「てんのうさま」信仰は広がった。 津島神社「てんのうさま祭」 には 四輪台車にカラクリ人形を載せた山車 (ここでは船) 一方、 京都の場合は 有名な「祇園祭」がある。 「天王祭り」 は全国の各所で 盛夏、 盛大に開催される 「厄病退散」の祭りである。 晩秋、 弥五郎祭りが盛大に開催される 大隅の岩川八幡神社 の由来 江戸時代の三国名勝図会に 次のようにある。
    岩川弥五郎祭 萬寿二年(1025) 城州岩清水八幡宮を 隅州岩川へ勧請せしに。 ....... 天文四年造立の棟札あり 祭祀十月五日、 其日華表より一町許距れる処に 濱下の式あり、 大人の形を造て 先達とす、 身の長け一丈六尺 梅染単衣を著て 刀大小を携え 四輪車の上に立つ 此人形は土人伝えて 大人弥五郎と云い 又武内宿禰なりという
    このようなことから 当地の「弥五郎祭」は 隼人の霊を祀る「放生会」「てんのう祭」がいつしか 合体したのではないだろうか
    岩川弥五郎祭

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    ■津島神社について■

    この神社は 延喜式には見えない。 海部郡は次の八座 尾張国一百廿一座/大八座/小一百十三座‖ 海部郡八座/並/小‖ 漆部神社 諸鍬神社 国玉神社 藤嶋神社 宇太志神社 由乃伎神社 伊久波神社 貞コ憶感神社 憶感神社(おかん) は現在の神守町(かもり)上町の 憶感神社 に比定される。 「国玉神社(くにたまの)」 は 尾張神名帳集説訂考 によれば 祭神大国霊神と地主神の 古称から 津島神社の境内社 弥五郎殿 にあてている。 津島神社 は 式外社であるが 平安時代末頃には 式内大社である 伊勢国桑名郡多度神社 や 美濃國不破郡南宮神社 と比肩するほどの 有力神社になっている ====== 平凡社 愛知県の地名 津島市 ==== この春、 ネットからこの地名辞典を 購入した、、 昨年晩秋から 父の容態が芳しく無く 暫く棚に飾っていたのだが、、 その父も 介護の甲斐もなく 自宅で天寿を。 初盆も終わって やっと踏ん切りが付いた。 そこでまた少しずつ 再開した。 2009/9/5 記

    pin.gif また、 都城市・山之口 「的野正八幡宮」 の由緒は次のようである。
    
    
    的野正八幡宮、
    富吉村に在り、
    本社薩州國分正八幡宮なり、
    和銅三年勧請す
    往古三俣院の宗廟にして
    大社なりしといへり
    
    
    弥五郎は、 四肢を牛で 引きちぎられたようだ。 古代の朝廷や政府へ弓引いた反逆罪は 公衆の面前で見せしめのためだろうか このような残酷な刑が多い。 女賊の 「名草戸畔(なぐさとべ)」 にしてもしかり 容赦はなかったようだ。
    日本書紀より引用
    
    ●03神武天皇即位前紀戊午年
    (前663)六月丁巳《廿三》
    ◆六月乙未朔丁巳。
    
    軍至名草邑。
    
    則誅名草戸畔者。〈戸畔。此云妬轂。〉
    
    遂越狹野而到熊神邑。且登天磐盾。
    仍引軍漸進。海中卒遇暴風。皇舟漂蕩。
    時稻飯命乃歎曰。嗟乎。吾祖則天神。母則海神。
    如何厄我於陸。復厄我於海乎。言訖乃拔釼入海。
    化爲鋤持神。三毛入野命亦恨之曰。我母及姨並是海神。
    何爲起波瀾。以潅溺乎。則蹈浪秀而往乎常世郷矣。
    天皇獨與皇子手研耳命。帥軍而進至熊野荒坂津。
    
    〈亦名丹敷浦。〉因誅丹敷戸畔者。
    
    
    


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