奈気木の杜
蛭子
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古事記者自左迴逢約竟以迴時伊耶那美命先言阿那邇夜志愛上袁 登古袁此十字以音下效此各言竟之後告其妹曰女人先言不良雖然久美 度邇此四字以音興而 生子水蛭子此子者入葦船而流去次生淡嶋是亦 不入子之例於是二柱神議云今吾所生之子不良猶宜白天神之 御所即共參上請天神之命爾天神之命以布斗麻邇爾上此五字以音 ト相而詔之因女先言而不良亦還降改言故爾反降更往迴其 天之御柱如先於是伊耶那岐命先言阿那夜志愛袁登賣 袁後妹伊耶那美命言阿那邇夜志愛袁登古袁如此言竟 出典参考史資料:国宝 真福寺本古事記原文 12-13 古事記正解日本書紀第四段一書第十◆一書曰。 陰神先唱曰。妍哉。 可愛少男乎。 便握陽神之手遂爲夫婦生淡路洲。 次蛭兒。 第五段一書第二◆一書曰。 日月既生。 次生蛭兒。此兒年滿三歳脚尚不立。 初伊弉諾伊弉冊尊巡柱之時。陰神先發喜言。 既違陰陽之理。 所以今生蛭兒。 次生素戔鳴尊。 此神性惡。常好哭恚。國民多死。青山爲枯。 故其父母勅曰。假使汝治此國。必多所殘傷。 故汝可以馭極遠之根國。 次生鳥磐■樟橡船。 輙以此船載蛭兒、順流放棄。 次生火神軻遇突智。 時伊弉冊尊、爲軻遇突智、 所焦而終矣。其且終之間。 臥生土神埴山姫及水神罔象女。 即軻遇突智娶埴山姫、生稚産靈。 此神頭上生蠶與桑。臍中生五穀。 』罔象。此云美都波。 ▲ |
当地の伝承では、
■古事記水蛭子此子者入葦船而流去■日本書記道爲夫婦先生蛭兒。便載葦船而流之。次生淡洲 で乗せられた船は 天磐樟船 として伝承されている。 葦船だから隼人族所縁の 竹工芸品の「無目駕籠」との説もあるが、 その方がマッチはするが。 「天降川」は、 江戸時代は「大津川」と呼ばれていた。☆☆☆☆☆ 竹の船 ☆☆☆☆☆
竹笊 蛭子を乗せた竹の船は所謂笊で御碗型では なかったかと推定するが。 東南アジア辺りでは 現在でも使っている地域がある。 ベトナム東海岸ニャートウン地区で イカ釣り漁等に使ったり、 遠浅で大型船が寄航出来ない所では 沖合いの漁船までこの竹船を使うのだと云う。 「トエントン」と呼ばれている。 そういえばフイリッピンでも見たことがあったが。 竹で御碗型の笊を編んで、 椰子油で防水を施し 隙間を牛の糞と粘土を練り上げて貼り付ける また、中国広西省・海南島の少数民族の 壮(チワン)族,瑶(ヤオ)族等では、2,3人載りの れっきとした船があるそうだ。 参照サイト:炉端の会 第12回 : 中国広西省・海南島の少数民族の伝統建築と集落 (壮(チワン)族,瑶(ヤオ)族 他)」
竹駕籠細工 |
蛭子と水銀中毒伊耶那美から生まれた「蛭子命」は 生後、足が立たなかったと言う そこで岩楠船に載せ流した。 漂泊の末流れ着いたのが 当地の「蛭子神社」の地。 待てよ、最近、神奈備で追加された頁に 出ていたぞ。 http://www.kamnavi.jp/inari/index.html ありました。「稲荷神」の項目に。 勢和村丹生の丹生神社の摂社に 丹生中神社があり、 祭神は譽田別命、五柱男命、三柱女命、蛭子命 これって、ひょっとしたら、 水銀中毒の症状を指しているのではなかろうか、 三重県多気郡勢和村丹生の地は 古来よりの水銀の産地 として著名で、古代の水銀蒸留用土釜を持つ 丹生大師や丹生神社が鎮座しており 新潟の「イタイイタイ病」や九州の「水俣病」は これの典型ではないか。 この後、天平期・奈良期の各地での大仏建立 この時も多量の水銀を使用している。 古来より、難病・奇病の類として抹殺されたのでは なかろうか。 それを嘆き悲しんで密かに流した。。 ありえない話ではないな。 |
奈気木の杜
蛭子神社
には
幼い頃の
思い出がある。
小学校一年生の
初めての遠足が
ここ
「蛭子神社」
だったと
記憶している。
遠足前日は
準備を
全部済ませたはずだったが
なぜか
当日
ばたばたして
遅刻したのだ。
原因は
何だったのだろうか。
今となっては。。
探る術はないが。。
ぐずっている私を
仕事で忙しいのに
わざわざその遠足の地
蛭子神社まで
送ってくれたのだ。
☆08-6-1
到着したら
皆が心配していたよ
と駆け寄ってきたのを
懐かしく思い出す。
小学校1年の頃と
云えば、、
多分、妹が生まれて
日が浅かったのか
それとも未だ生まれる前で
悪阻で母が大変だったのか
いずれかだろう。
小学校に
揚がる前は
両親とも
共働きで
鹿児島市の
叔母の所へ
好く預けられていた。
叔母の家は
当時は、
清水町の
祇園神社
の山側だった。
終戦当時で
神社は焼失していたから
覚えていないが。。
多賀神社には登っては怒られた。
ちょっと
話が逸れたが
私を蛭子神社に送り届けて
父は
直ぐ帰ったか
それとも
暫く居たのか
もう記憶に無いが
とても
嬉しかったのだけは
鮮明に
焼きついている。
そんな
思い出の
蛭子神社
八幡様に参拝して
いつもここで休憩し
帰宅するのが
御まじないだったな。
2009/7/30
☆2009-4-19:父最期の参拝
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