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歴史探訪 南九州


比売乃城(姫木城)

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搦手口通路中腹からの国司岳

  • contents:

    概要/通路/比売乃城の寺社/比売乃城の変遷/ 考察


  • 概要

    
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    車は223号線を
    隼人から霧島へ向かう。
    
    木の房の交差点を右へ曲り
    国分市街地へと走る
    天降川に架かる泉帶橋を渡る
    と
    正面に荒々しい崖崩れをおこした
    小高い山が迫ってくる。
    
    
    
    ☆天降川からの比売乃城☆ この要害の山城こそ 宇佐神宮託宣史等が語る 隼人等の居城の一つである。
    
    
    隼人等大驚甚更惺  
    彼大隅
    日向之内構七所之城
    ..........
    先五所城
    奴久良、原、神野、幸牛尿、志加牟
    之賊等伐殺之、
    今二所城
    曽於乃石城、比賣乃城
    之凶徒惣難殺之間
    .........
    
    
    
    
    昔 この地で 健やかに暮らしていた 我等の祖先「隼人族」 勇猛果敢に戦った 終焉の地 比売乃城だ。 出水市出身の 海音寺潮五朗の 短篇小説では、 阿久根媛の最期 の舞台として 登場する。 ☆比売乃城☆
    • 日豊本線の隼人〜国分間、 鉄橋の辺(参宮橋)から霧島側を望遠する。
    • 中央の小高い山が比売乃城
    • 手前は天降川(あもりがわ)
    • また、右側支流は「手籠川(てごがわ)別名拍手川」といい 熊襲が斬首された河原(首塚)と止上神社が上流にある。 名前の由来でもある。
    • バックの中央三角錐は天孫降臨神話の「高千穂の峯」 左は「韓国岳」

    空港から比売乃城(中央)方面
    手前が天降川
    比売乃城
    手前に稲荷神社

    島津金吾歳久公


    比売乃城
    中央が「金吾岩」
    • 永年「女人禁制」の聖域だった天狗岩は右側山頂付近、
    • 別名「国司岳」
    • 中央辺の突き出た箇所は「金吾岩」
    • 城跡は中央辺りより少し左に位置する。

    島津金吾歳久

    • 俗称:「お石様」(1537-1592)
    • 天正20年(1592)56歳
    • 詰め腹を言い渡されたが、中風で手が叶わず、岩に頭を打ち砕き自害
    • 御霊は姶良町平松:平松神社(旧心岳寺)、墓所は福唱寺跡
    • その後、大岩を「金吾岩」と称するようになったようだ
    • 武勇を馳せた名将だけにあるいはこの地で参戦されたかもしれないが。。
    
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    平松神社(旧曹洞宗竜水山心岳寺)ご由緒
    
    碑  文
    
     島津金吾歳久公は、
    第十五代守護島津貴久公の三男として、
    天文六年(1537年)七月十日に御誕生。
    
    祖父は名将の誉れ高き忠良公(旧新公)、
    長兄が義久公、
    次兄が義弘公であり、
    いずれも文武兼備の武将と称えられ、
    なかでも歳久公は智り深く、
    豪放闊達な気質であった。
    
     初陣は十九歳、
    以来島津氏の南九州統一、
    九州制覇に大きな軍功を挙げ、
    天正年間、
    時の関白豊臣秀吉の島津征討には最後まで屈せず、
    遂に関白秀吉の勘気に触れるところとなり、
    第十六代の大守島津義久公に
    「歳久の首を刎ねて差し出せ」と厳命した。
    
     戦国の世とはいえ、
    兄の義久公が弟歳久公に兵を差し向け
    自刃を迫るという、
    誠に悲運、断腸の終末であったが、
    歳久公は「大守に対し矢を放ったに非ず、
    君臣武勇の本分を以て、暫時の戦を励むもの也」
    の名言を残して、
    天正廿年(1572年)七月十八日
    竜ヶ水の地に御年五十六歳で自刃された。
    
     義久公は太閤秀吉の没後、
    慶長四年(1599年)
    歳久公自刃の地に、
    「曹洞宗竜水山心岳寺」
    を建立し菩提を弔った。
    後に心岳寺は廃寺となったが、
    明治三年(1870年)
    歳久公を御祭神とする「平松神社」が
    この地に建立された。
    
     かかる御祭神歳久公の壮烈なる御最後と、
    御遺徳を偲び、
    鹿児島三大詣りの一つ「心岳寺詣り」として
    「妙円寺詣り」「加世田詣り」と共に、
    盛大な祭が行われ、
    武勇、安産、商売繁昌の神様として、
    広く県内外の崇敬をあつめてきたのである。
    ここに「記念碑」を建立して
    歳久公の御神徳を顕彰する。
    
    平成四年七月十八日
    島津金吾歳久公四百年祭顕彰会
    



    比売乃城の国司岳より桜島と風の杜
    右側中央辺りにこんもりと緑が

    比売乃城の通路
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    map(国分諸古記)

    概要

    1. 2000年晩秋から2002年春にかけ全てを歩いてみた。
    2. 踏破したルートには目印(白テープ)を提げておいたので活用されたい。
    3. しかし過去の台風や水害で崩落が激しく幾つかはザイルワークが必要だ。

    4. 最も散策に適したルートは:
      • 寸尾出城からの通路(日豊本線側)
        • 現在の薩摩麦酒園からカール状を石原越を目指し登る。
        • こちらの方は麦酒園用の井戸が3 箇所ありその運搬用の路が整備されている。
      • 石踊城・出城からの通路〜石原越(尾根筋)
        • 旧姫城小学校の校庭の東側から石原越通路があったが、 この辺には住宅が建ち寸断された。
        • 現在は、旧、郵便局前の通路を直進し、この昔のルートへでるのだが 迂回し判りずらい。
        • そこで、石原越へ直進するルートを新たに造った。(2000年)


    石原越の切通し


    通路

    通路

    1. 貫抜の瀬戸(橘木城)からの通路
    2. 山野湯峯城からの通路
    3. 宇都権現からの通路(直登)
    4. 横尾城・菅原天神からの搦手口通路
    5. 石踊城・出城からの通路:隅の谷からの通路〜石原越
    6. 稲荷神社上(旧熊野権現)からの通路
    7. 寸尾出城からの通路(日豊本線側)


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    比売乃城の寺社

    pin.gif 七社神社
    1. 実はこの城山を古文書で調べていたら、 ここに次のような神社の記載がみえた。
      • 天満大自在天神 姫城村迫石原 国分市姫城石原
      • 七社大明神 姫城村迫石原 国分市姫城石原 焼失
    2. 当初は、平地を探していたが、 2002年春、この城山の石原谷の辺だと判明した。
    3. この神社は焼失して、北永野田の七社神社に合祀されていた。
    4. そこで、この「七社神社」の現在を調査してみた。
    5. ついでに他の七社神社も追跡調査した。
    6. 大半が現在の霧島町に現存した。詳細は寺社探訪を。

    
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    姫木寺

    1. 比売乃城の三角点(169m)の西方に写真のような石碑がある。
    2. 2000年春、昔の記憶を頼りに40年ぶりに伺った。
    3. 二度目は、2001年秋、集中豪雨で崩落して土砂の中。
    4. 倒木や岩石を除去して引張だし、何とか日が当るようにした。


    姫木寺碑


    石祠


    観音像


    石祠台座刻字
    寛保三年葵(1743)姫木寺 正観音 本尊仏

  • 所在地:国分市姫城
  • N31-45-44,E130-45-53
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    住職墓

    1. 比売乃城にある寺のお坊さんの墓があるというのだが どこだったか思い出せないでいた。
    2. 過日、国分市の図書館へ資料を調べに。 本田潔先生が以前調査された「中世城郭調査」があったので それを懐に忍ばせ探索した。
    3. 確かこの辺りだったはずだと、山頂の測量点のある 観音山の東南側を探したが初回目は判らず、再度探索した。
    4. 2001/11/21:やっと捜し当てた。実際は三基並んでいるのだが、 一番左側の石碑は崩壊して不明。
    5. 碑文は明確に判断できた。何と「永禄十二年」(1569)とあった。
    6. 探訪当初、山頂辺りの竹山の中に散在する石碑があったと 勘違いしてあちこち探索した、、、
    7. 後日判明したのだが、麓にあった、 新七の宇都権現の跡だった。 菅原神社ヘ合祀。(2002年現在、吉永為治氏地所だが、 石碑は無い、8/6水害復旧工事で廃棄?)





    心峰記室禅師:長歳永椿記室禅師
    永禄十二年巳(1569)
  • 所在地:国分市姫城
  • N31-45-31,E130-46-05より東方へ約 15m

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    比売乃城の変遷

    
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    比売乃城の変遷

    伝承は多々あるが 一応古文書に記載されている項目を。 仔細は専門の方々のご指導を仰ぎたい。 また、遺構や土塁等に付いては 別掲載する。
    時代西暦城主摘要史資料備考
    古代〜720隼人
    隼人抗戦
    中世税所(姫木)
    鎌倉〜1,400本田
    江戸1600〜1867島津
    延元2年1337重久篤兼が籠城肝付兼重と野辺盛忠・連合軍を撃退
    応安6年1373税所氏と島津氏抗戦
    天授3年1377税所氏と相良氏の連合軍が島津氏を攻撃連合軍が籠城
    落城迄3年
    島津は蛭子神社上に陣(新田山・笑隈)碇山左衛門(金吾)
    文安4年1447清水城主本田重恒が攻める島津忠国が籠城
    天文14年1545清水城主本田薫親
    天文17年1548本田実親等籠城清水城主本田薫親の横暴な振舞に反旗
    天文17年1548伊集院忠朗が姫木地頭に島津忠良、貴久が本田薫親を滅ぼす伊集院忠朗の所有
    元和元年1615廃城一国一城令
    寛保三年1743姫木寺正観音 本尊仏碑

  • 出典史資料:国分諸古記、他


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    考察

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    比売乃城の由来

    「続日本紀」 に次のようにある
    
    
    文武四年(700)六月庚辰《戊寅朔三》
    
    
    薩末比賣。久賣。波豆。
    衣評督衣君縣。
    助督衣君弖自美。
    又肝衝難波。從肥人等持兵。
    剽劫覓國使刑部眞木等。
    於是勅竺志惣領。准犯决罸。
    
    
    
    
    1. 薩末比賣とは一体何者だろうか。
    2. 占星術を操る巫女だろうか
    3. 海音寺潮五郎はこれを題材にし「阿久根姫」として 登場させている
    中世の頃は「姫木氏」の居城だったとある。
    
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    姫木氏について

    府社中臣の御家人 姫木太夫篤季 は曾野郡(曽於郡)に拠点を置き 大隅国大介兼税所職の 要職にあった税所氏の系譜に 連なると云う. 篤季は桑東郷姫城一帯を領し 大穴持神社の神主大宮職にあり 桑西郷の大穴持新田五段と 宮司分三段をも併せ領している ====== 建治2年(1276) 8月日 石築地役配符写 ======== 注:  府社中臣:大宰府管轄の府社      ■治安元年 (1021)  正五位下・藤原(税所)篤如・宮司職下向 税所を氏とし曽於殿と呼称さる 重久、最勝寺、姫木、芦江、川畑、馬場、妻屋川は同族 税所祠 本社の四十ニ間許にあり 社記曰 宇多天皇の皇子篤房親王、五世の孫 正五位下藤原篤如 後一條天皇の時 國分正八幡宮と霧島神社の神職となり 治安元年、辛酉、三月、大隅國に下着し 神領の租税を以て氏とす、 當祠は篤如を祭れるといふ ===== 三国名勝図会 3-288 ===== ====================================================== 永和2年(1375) 清水・姫木の両城が 落城してからの姫木氏だが 隼人郷土誌によると(p167) 帖佐辺りで農民として 生活していた。 第九代島津忠国の時 姫木氏に「瀬戸口名」を 与えた。 清水弟子丸瀬戸口秀隆 旧蔵の正八幡宮文書 はその事を実証している。 ====>>この出自は 國分諸古記のp157 「姫木氏姫木居城ノ説」


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