隼人の歴史探訪

隼人の抗戦

その真実を追う

国史跡・熊襲(くまそ)の”隼人塚”

隼人塚


目次:

隼人塚 隼人首塚 境内配祀
放生会 隼人塚の鎮護 捕縛された隼人の数
隼人舞


pin.gif

国史跡・熊襲(くまそ)の”隼人塚”


特急「霧島」は
日豊本線の隼人駅を出て
終点の鹿児島へ。

走り出すと間も無く
夕陽に照らされた
石像の五重の塔が
車窓の左側に
うかんでくる。


大和朝廷樹立の過渡期
数十年に及ぶ
地元の隼人(熊襲)族と
大和朝廷の抗戦。

この史跡公園は
地元民が
慰霊碑として
708年に建立
したと伝承されている。

放生会と各地の国分寺建立
の関連が深い。

隼人塚

pin.gif

この時、 日本武尊(やまとたけるのみこと)が 女装して酒宴にはべり 夜陰に乗じ討伐した話は余にも有名。 熊襲の洞窟 この反乱後、 隼人族(始祖:神話の海幸彦)は、 天皇(始祖:神話の山幸彦) の警護役として 近畿地方に移住させられる。 京都、奈良にその地名や慣習行事が残る。

  1. 神話と史実が混在して伝承されているが、、、
  2. 抗戦で散った祖先へのせめてものたむけか。
  3. 最近の調査
    (1998:隼人塚 山跡遺跡発掘調査概報 隼人町)で 中世以降の建立らしいが。

隼人塚史跡公園

  • 所在地:霧島市隼人町内山田287-1
  • 連絡先:隼人塚(0995-43-7110) 隼人町(0995-42-1111)
  • 交通 :JR隼人駅から歩3分、線路沿
  • 北緯31度分秒,東経130度分秒


top/ HOME


720年の隼人の反乱後、
全国的な規模で
飢饉や疫病が蔓延して
世情が不安定になり、
人々は
「これは隼人の呪いだ」
と怖れ

相対した
宇佐神宮で
「隼人の慰霊」
を行った。

これが全国に普及した

放生会の起原とされている。


お浜下り
60年ぶりに復活した
「お浜下り」
国分寺蹟
国分寺蹟石碑


聖武天皇が、
天下泰平・五穀豊穣
を祈願して
全国に国分寺を
建立したのも
この天平年代である。

天平13年:741 
大隅国分寺建立の詔

大隅の国分市の由来は
この「国分寺蹟」から。


712:古事記
713:各地に風土記
720:日本書記
730:薬師寺東塔、興福寺五重塔建立
734:興福寺西金堂建立
739:法隆寺夢殿建立
741:国分寺・国分尼寺建立の詔
743:東大寺大仏(る舎那仏)造立の詔
752:大仏開眼供養

豊後宇佐参照サイト

  • 「 豊後国の新風土記」 :勅使用件から見た日本史:薩摩隼人の反乱

    この「隼人の祟り」とはどんなものだったのか。

    
    
    当時の奈良は寺社建築ラッシュ
    相次いでの大仏建立
    
    建築用の資材となる山林は裸同然、荒廃の一途。
    
    また、銅精錬等による水銀等の公害で
    従事者ばかりか一般庶民にまで噴煙等の二次的被害が
    あったろうことは想定される。
    
    興味深い記事が次のサイトにある。
    
    
    遷都の原因は大仏建立による公害
    
    また、この奈良の大仏用の銅鉱石は
    山口県長登銅山跡
    
    
    
    

  • top/ HOME

     
    pin.gif
    隼人塚の鎮護
  • 風水により隼人塚の鎮護に配役している。

    方位四神三山神社、寺院備考
    北方毘沙門天(多門天)
    西方広目天
    南方増長天
    東方持国天
    北東--


    北方 毘沙門天

    西方 広目天

    南方 増長天

    東方 持国天

    1. 隼人町の石像文化財「隼人塚四天王像」によると
      • 以前は2躰のみ建っていて、残りは地中に埋まっていた
      • 平成の大改修で掘り出し、方位に併せて配置したのが現在の姿
      • この隼人塚は以前は正国寺跡ではとか尼寺跡とか 隼人郷土史にはあるが。。
      • 三国名勝図会によると、南北朝以前は、 隼人塚の現在地に、正国寺が在ったと記する。
    注1:隼人郷土史の発刊は昭和60年 注2:正国寺跡は、隼人町史跡マップによると 内山田蛭田に位置するようだ。(鼻の巣の西方) ここにはこの寺の墓石群もある。


    top/ HOME

    
     
    pin.gif
    放生会境内配祀
    御四至境内所々
    方位寺院祭祀摘要備考参照
    東方最勝寺薬師霊験所同新堂阿弥陀像
    南方法楽寺観音像御願所
    西方朝日寺観音像霊験所
    北方咲隈寺(えみの)観音像霊験所隼人p123,133
    西光寺阿弥陀堂山王御社山寺在り
  • 出典:桑幡家文書

  • top/ HOME

     
    pin.gif
    隼人塚(首塚)
    国分市の郊外、 田園の中に ひっそりとたたずむ 「隼人族」 の慰霊供養塚。 バックは比売乃城。 北緯31度46分03秒
    東経130度47分16秒

    • 所在地:霧島市国分重久
    • 連絡先:霧島市(0995-45-5111)
    • 交通 :林田バス 国分〜霧島:重久下車歩3分

    この塚は、 別名「隼人の首塚」といい、 捕虜となって斬首された隼人族 の霊を慰たと云われる。 「猪切藪(ししきりやぶ)」ともいう。 周辺の水田を 真板田(まないただ) と呼び、 毎年、1月14日を狩猟の日として、 この日獲れた猪の肉を 33本の串に差して 隼人の霊を鎮める祭りを したと伝承される。 昔は、 「にえまつり」とか「ほぜさあ〜」 ともいい、 正月14日の「餅の日」には、 「ほぞえ祭」があったが。。 ====>>「ほぜさあ〜」 という名称で呼ばれる祭りとしては、 霧島神宮の 秋の例祭(11/23)がある。 こちらはどちらかというと 「豊年感謝祭」(豊穣祭)の色合いが濃い。
  • にえ(なえ)汁:野菜などは全て刻まないで煮る。 近くには、 「隼人族」の守護神を祭った 「止上神社」がある。 斬首された血で小川は 深紅に染まった. その小川はいつしか 「手籠川(てごがわ)」 と呼ばれるようになった。

  • top/ HOME

     
    pin.gif
    隼人の捕虜

    
    「続 日本記」巻八-15
    
     養老5年秋7月巳酉(722)
    
    征隼人副将軍従五位下笠朝臣御室、
    従五位下臣勢朝臣真人ら帰る。
    斬りし首、獲し虜合せて千四百余人
    
    


    top/ HOME

    
    

    pin.gif
    隼人舞
    秋の例大祭「お浜下り」 隼人塚に 到着した行列は しばし休息の後 雅楽の音にのり 厳かな 隼人の舞 が奉納される 隼人舞 続日本紀 に次のような記述がある。 養老元年(717)四月甲午《廿五》 甲午。 天皇御西朝。 大隅薩摩二國隼人等。 奏風俗歌舞。 授位賜祿各有差。 抗戦に敗北した隼人は 入朝し歌舞を 興じたとある。 隼人舞 鹿児島神宮の「隼人舞」は 天皇御崩御時に舞われる ことが多かったとみえ 厳かに楚々と 進みます。 一種の「能」のような 雰囲気があります。 決して「賑やかな舞」ではありません。 2007/8:動画追加


    top/ HOME