隼人の祖:海幸彦

隼人塚

★海幸彦の足跡は ★鹿児島神宮 ★鑰島神社 ★桜島・月読神社 ★止上神社 ★宮崎・潮嶽神社 ★考察

隼人の祖・海幸彦: その足跡は?


pin.gif


古事記には


火照命此者隼人阿多君之祖


隼人の始祖:
火照命「ホオリノミコト」


とあるのだが

その
隼人の祖:海幸彦
のその後については
当地には伝承が無い
仔細は判らない。

陵墓はどこにあるのだろうか。
妃は、

その後、
「景行天皇紀」の「熊襲征伐」へ
時代は移る迄
「隼人族」
の出典は見えない。

その空白は一体
何を語ろうとしているのだろうか。

弥五郎
■海幸彦の子孫「弥五郎」■
鹿児島の天文館を練り歩く



pin.gif


今より以後、
汝命の夜昼を問わず
守護人となるであろう


隼人族は
皇族の近習として
皇室に仕える
ようになるのだが。。

その後も
何度か抗争が
繰り返される。


海幸彦の足跡


pin.gif


隼人の始祖
と伝承される
火照命(海幸彦)
だが、
陵墓も妃も不明、
果たして??

幾つかの伝承地を
追ってみた。



pin.gif

鹿児島神宮
当地の

鹿児島神宮

は、 山幸彦の 日子穗穗手見命 を祭祀する神社だが、 「海幸彦」の火照命 は祭祀してないのだろうか あちこち探していたら 参道の二の鳥居前の 三之社 に鎮座されていた。
海幸彦1
三之社全景
海幸彦2
三之社(火照命・大隅命)
このような場所で 「門守神」 として警護に。 末裔と伝承されている 「大隅命」 と相殿だ てっきり境内にあるのかと 思っていたのだが まさか参道にあったとは 驚きだった。 それだけ その後の 隼人抗戦は凄まじかった ということだろうか。


pin.gif

鑰島神社
実は、 当地の浜下りの ご神幸地の近くにある 鑰島神社 の ご祭神は 次の通りである。 kagishima_jinja
No 神社名 位置所在 名称 祭神 摘要 備考
末社 鑰島神社 火闌降命 隼人命 大隅命
配祀 応神天皇 神功皇后 豊玉姫命

由緒について
創建年月日不詳なるも 高千穂宮(皇居)伝説抄の中に 大隅正八幡(鹿児島神宮)は 欽明天皇五年甲子 此所に初めて顕座により 応神天皇以下、 武内宮隼風宮鑰島宮等 勤請といふとあり 平安時代堀河天皇の寛治5年 鹿児島神宮焼失後 承徳元年(1097)に神宮の鑰を この神社に納められてから鑰島神社と 言ふようになった。 なお、平成2年1月の改築の時 梁の部分から 文政元年寅年十月吉日(1818) の墨書銘が発見された。 いずれにしても 古い歴史を有する神社で 村民の崇敬を今もなお集めている
どうも 桑幡家伝承 のようだ。 創建の年月日詳ならずとも 桑幡家の伝には 神代よりの建立なりといへり 殊に土人が此神社の 鹿児島神宮と相向合ふは 深き縁故あるべしといへるは さる事なるべし この社を鑰島と称するは 人皇73代堀河天皇の御代寛治五年 十二月十三日鹿児島神宮炎焼し 六年を経て承徳元年二月 鹿児島神宮の御鑰を此社に 納められしより 鑰島と称するに至れりといふ 神社撰集正八幡の條に曰 大隅正八幡は欽明天皇五年甲子 此処に初めて顕座てより 応神天皇以下武内早風大多羅智女 三宮守君神鑰島宮等勧請といふ ===== 国分の古蹟 明治36年 ====== また、隼人町郷土誌p225 国衛の印や不動倉などや 神社・神主家の印などを 特に神聖視して 祭祀された神社であったが 国衛の衰退と 運命を同一にしている感がある ■天文11年(1542) 勅使辻参議中将季遠の 国分寺納経時 ■天文20年(1550) 正八幡宮御尊体を 樺山立佐が奉持 浜の市に上陸した時点で 一時安泰された頃が 最高の時代だったと 思われる。


pin.gif


桜島・月読神社
tsukiyomi また、 錦江湾の対岸にある桜島の 月読神社 の由緒だが 旧記には次が見ゆ

五社大明神社

地頭館より巳午の方十六町

赤水村宮坂にあり
祭神五座
月夜見尊
木花開耶姫
豊玉姫
火蘭降命
他に一体の祭神あれども
詳ならず

寛永2年5月
慈眼公の命にて
社殿を浜辺に還し
新建し玉へり

・・・・・・・

社伝に曰く
霧島の祭神は彦火火出見尊にして
桜島は
当社及び御嶽権現等
皆火照尊なり
・・・・・・
されど
この島の名は
木花開耶姫
に由ありて聞ゆ
唯其伝詳ならずと云い
当社の神は
兎獣を愛せるとて

tukiyomi_kanme 真意は ともかくとして このような 伝承が残されていることは 何か所縁が あるのだろう。 現在でも 鹿児島神宮の例祭には 桜島から 多数の芸能が奉納される 鹿児島神宮・桜島・棒踊り奉納 しかし 近年、 伝承者の高齢化と 後継者不足で 鹿児島神宮では 奉納舞を 拝見することは無い。 残念だ。 2009/7:追記


pin.gif

止上神社
「海幸彦」を 主祭神としていたのでは と推察される神社が 旧国分市の郊外にある。 止上神社

「止上神社」

がそれだ 春ともなれば 鎮守として 「田の神祭」で賑わう
たんかんさ1 たんかんさ2
その神社の 神奈備山は 東方に聳える 双子山の 「尾牟礼山」
尾牟礼山1 尾牟礼山2
尾牟礼山山頂には 有に50kg以上はあろうかと 思える石碑が3基も。 古来はここに祠と鳥居が あったのだと云う
尾牟礼1 尾牟礼2
江戸時代に編纂された 「三国名勝図会」によると 「大隅命」 が祭祀されていたと あるが 現在は境内には無い。
隼人首塚 ■隼人首塚■ 後方は激戦となった比賣の城 また、 この近くには 千名以上もの 隼人族が斬首されたと 伝承される地があり そこには慰霊供養塚 隼人首塚 が建っている。

pin.gif
潮嶽神社
2006/4/9、 宮崎の伝承地 「潮嶽神社」(うしおだけ) に参拝した。 隼人の始祖: 火照命「ホオリノミコト」 は、 この地に宮城を構えて 独身で生涯を終えた と伝承されているそうだが。 また近くに 陵墓と云われる古墳も 伝承されているそうだ。 残念ながら 今回は夕暮れとなって参拝できなかった。 秋の例大祭では神舞があるそうだ その時にでも訪れたいが。

ushio1.jpg ushio1.jpg
ushio1.jpg ushio1.jpg

考察

pin.gif
  1. 隼人の伝承は他にないのだろうか
  2. また妃やご陵墓は。。
  3. 「天孫降臨神話」と「稲の伝来」の関連はどうなのか?
  4. 朝鮮族、徐福等、渡来人との関連は?
  5. この物語の主役は「秦氏」??


top/ HOME


出典


pin.gif

古事記

木花之榮榮坐宇氣比弖自宇下四字以音貢進此令返石長比賣而獨留 木花之佐久夜毘賣故天神御子之御壽者木花之阿摩比能微 此五字以音坐故是以至于今天皇命等之御命不長也故後木花之佐 久夜毘賣參出白妾妊身今臨産時是天神之御子私不可産故 請爾詔佐久夜毘賣一宿哉妊是非我子必國神之子爾答白吾妊之 子若國神之子者産不幸若天神之御子者幸即作無戸八尋 殿入其殿内以土塗塞而方産時以火著其殿而産也故其火盛 燒時所生之子名 火照命此者隼人阿多君之祖 次生子名火須勢理命須勢理三字以音

次生子御名火遠理命亦名天津日高日子穗穗手見命

三柱故火照 命者爲海佐知毘古此四字以音、下效此而取鰭廣物鰭狹物火遠理命者爲 山佐知毘古而取毛麁物毛柔物爾火遠理命謂其兄火照命各相 易佐知欲用三度雖乞不許然遂纔得相易爾火遠理命以海 佐知釣魚都不得魚亦其鉤失海於是其兄火照命乞其鉤 曰山佐知母己之佐知佐知海佐知母已之佐知佐知今各謂返佐知 之時佐知二字以音其弟火遠理命答曰汝鉤者釣魚不得一魚遂失海然 其兄強乞徴故其弟破御佩之十拳劔作五百鉤雖償不取亦作 76-77 還來故爾告下其一尋和邇然者汝送奉若渡海中時無令惶畏即 載其和邇之頚送出故如期一日之内送奉也其和邇將返之時解所佩 之紐小刀著其頚而返故其一尋和邇者於今謂佐比持神也是以 備如海神之教言與其鉤故自爾以後稍愈貧更起荒心迫來將 攻之時出鹽盈珠而令溺其愁請者出鹽乾珠而救如此令惚苦 之時稽首白 僕者自今以後爲汝命之晝夜守護人而仕奉故至 今 其溺時之種種之態不絶仕奉也於是海神之女豐玉毘賣命白參出 自之妾已妊身今臨産時此念天神之御子不可生海原故參於到 也爾即於其海邊波限以鵜羽爲葺草造産殿於是其産殿未葺 合不忍御腹之急故入坐産殿爾將方産之時白其日子言凡他國人 者臨産時以本國之形産生故妾今以本身爲産願勿見妾於是 思奇其言竊伺其方産者化八尋和邇而匍匐委蛇即見驚畏而遁 退爾豐玉毘賣命知其伺見之事以爲心恥乃生置其御子而白妾恆通 海道欲往來然伺見吾形是甚■之即塞海坂而返入是以名其所 産之御子謂天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命訓波限云那藝佐、 訓葺草云加夜然 後者雖恨其伺情不忍戀心因治養其御子之縁附其弟玉依毘 82-83


top/ HOME