歴史探訪

俊寛と六所権現(足摺)

背多尾神社

★庄内/ ★霧島山/ ★六所権現・性空上人/ ★聖地『霧島」で帰京祈願/ ★流刑地/ ★考察/


pin.gif

平家物語と六所権現
平家物語 長門本で 俊寛等が 鬼界ヶ島に 流罪されるが 都落ちし当地の こがの杜へ向う道中で この霧島山の 六所権現 についての 下りがある。


top/ HOME


pin.gif

庄内へ


かくて日数も
つもりゆけば、
日向の国あや部の港わかの津に
こそ着かれけれ、
それよりして、
鐡輪三足のさかに取り上りたまふ、
下臈はかなは坂とも申けり、
是は我朝人皇のはじめ、
神武天皇の日向国宮崎の郡に、
帝都をたて、御即位有し時、
三女一男下りて土の仏を作りて、
てつりん三足をたてて、
供御をしてまつりけり、
それよりして、最初竈門三足の峯とも申、
都にありし時は
家の日記を以て是れを知るといへども、
いかでか親に見べき、
をん流の思ひでには、
かかる名所を見るこそ
すこしなぐさむ心地すれ、
それ室野、船引、大山と
いひて月影日影も
ささぬ深山の峨々たるせきがんを凌きこえて、

宮崎の港に着いて 庄内への道を 南下している 憔悴しきった 道中が 重々しい。 それもそのはず 都から見れば 九州や薩摩は 鳥も通わぬ僻地 ましてや それから 数千里も海を隔てた 孤島など 想像も付かなかった ことだろう。 ☆庄内の『願心寺』 当時あったのだろうか


top/ HOME


pin.gif



☆聖地『霧島山』展望

霧島山


日向国西方が
島津の庄に着給ふ、
彼庄内にあさくら野と云所に、

ひとつの峯高くそびえて、
煙りたえせぬ所あり、
日本最初の峯、
霧島のだけ
と號す、

金峯山、しやかのだけ、
富士の高根よりも、
最初の峯なるが故に、
名付て最初の峯といふ、



庄内方面から 北永野田への道中 展望した 霧島・高千穂の峯 当時は、 噴火をしていたようだ ☆聖地『霧島山』 御池と高千穂の峯


pin.gif


☆聖地『霧島山』
高千穂河原古址
天孫降臨祭がある

六所権現信仰について


六所権現の霊地也、
彼いただきに巌穴あり、
長時に猛火もえ上りて、雲に續く、
いつとなく黒砂ふり下りて、
すゑ何千里とはかる事なし、
然れども彼峯を
何の本地ともしらざりけるを、
はりまの国、書写の山を建立してける、

證空上人彼峯に登山して、
我この神の本地を拝み奉らんと
誓ひ給ひて、
七日参籠して、
法花経をどくじゆせられける、

五日といふ子の刻ばかりに、
大山震動して、岩崩れ、
めう火もえて、
ことに煙りうずまきて、
暫ばかりして、
廻り一二丈そのたけ十余丈ばかり
ある大蛇の、
角はかれ木の如くおほひかかり、
眼は日月の如くかがやきて、
大にいかる様にて出来給ふ、

上人是を御覧じて、
此山の有さまを見るに、
もとより龍宮じやうとは
ぞんぜられ候ぬ、
思ふにすゐじやくは龍のすがたにて
あつし候か、
本地をこそ拝み奉度候へ、
とくとく本地を現はさせ給へ、
あしくもげんぜさせ給ふものかなとて、
はたと守り奉る、大蛇本地に帰りぬ、

つぎの日の未の刻計に、
三尺計なる大鷹の尾ふさの鈴を
ふりならして、
めう火の中より飛び出て、
前なる平岩に居たり、
しやうくう腹を立て、
龍をだに用ひ奉らず、
いはんやいやしき野鳥のすがたをば
用奉るべきや、
然らば心眼ともにひらきて、
仏体を拝み奉らんとこそ思ふに、
見仏せざらんには、
双眼ともに無益なりとて、
どこを持て双眼をささんとし給へば、
鷹去てしばらく計して、
十一面の観音光明かくやくとして
幻のごとくにて見えさせ給ふ、
その時上人夢うつつともわかず、
ずゐき申ばかりなくして涙を流されけり、
性空上人心中のせいぐわんには、
こんど仏たいを拝み奉程ならば、
法華の行者と成て、彼教に従ひて、
衆生をけどせんと誓はる、
したがひて心願成就のうへは、
法華を殊に信仰し給へり、
此煙の中より光さして
末のとどまらん所を、
我在所と定めんと思召されけるに、
煙の中より光をさして、
はりまの国書寫にとどまる、
よてかの所をこんりうして、
長きすみかとし給ふ、
かかるごんけの人の徳を
ほどこし給へる峯なれば、
成経も参籠して拝まばや、

霧島山の 噴火や火砕流・土石流で 焼失や埋没した 社殿の再興に 尽力された 性空上人 その上人が唱えられた 六所権現信仰について 触れている。


pin.gif






聖地「霧島」で祈願

我さつま方へ行なん後は、
二たび故郷にかへらんことかたし、
しやさんして後世をたすからんと
思ふはとありければ、
預りの武士なさけある者にて、
何かくるしく候はんとて、
具し奉り参りたり、

殊に地ぎやうすぐれて、
眺望世にこえたり、
ためし少き所也、
少将あまり名残をしくして、
七日参籠して、法華廿八品、
尺の石の面に書寫してこめ奉りて、
そとばを作り、
五輪をきざみ、
梵漢両字を書きなどして、
忘れがたみを残し、
梅桜をみづから植置き、
さまざまに、
彼山にかたみをのこしなどして、
御宿に下向あり、

少将月日の重るにつけても、
ただ故郷のみ恋しくて、
暮にも及びければ、
今様をうたひ、
らう詠をしなど心をすまし、
涙を流し、
いつとなくしほれたる御有さま也、
心あるも心なきも、
互に袖をぞしぼりける、

預の武士ども申けるは、
此君になれ参らせて、
名残はをしく成ませども、
思ひあき奉る事はなし、
さればとて都に聞れん事も恐れあり、
とくさつまがたへ渡し奉らんとて、
又出立せ奉る、
少将是をこそ、
ずゐぶんにつらき所と思ふに、
猶いたましき所のあらんずるにやと
先しられてかなしかりけり、


六所権現の聖地 その神社の一つに参拝し 流刑される我が身を慮り 最後の別れかと 嘆き悲しんでいる。 俊寛は、 鬼界ヶ島に 遠島され この霧島はおろか 二度と都を見ることは 適わなかったのだが ☆聖地『霧島山』 二子岳からの 高千穂峯


pin.gif


☆現在の気色之杜


気色之杜と正八幡宮


さてはやに
夏影、
とかみ、
あかさか
といふ所を打過て、
大隅の国けしきのもりに
つき給ふ、
少将此森を見給ひて、

秋近きけしきの森になく蝉の
涙の露や下葉染むらん


と云名所は是やらんとぞ思しめしける、

正八幡宮の御あたりを
よそながら拝み奉り、
宿願をたてて、通られけり、


流刑される船着場の 「こがの杜」 への道すがら 立ち寄った 「気色の杜」 について 当時の 気色之杜は 現在の第一工大の 辺りにあった。 歌にも唄われた 景勝の地だった。 三国名勝図会 には この後の 手籠川の氾濫で 流失し 現在地へ移転している。 また 現在の鹿児島神宮は 当時は 正八幡宮 と呼ばれていた。 ☆鹿児島神宮


pin.gif

流刑地

少将は都にて
さつまがたへと
聞給ひしかば、
さもやはと思給けるに、
九州のうちには有ざりけり、
誠に世の常の流罪だにかなしかるべし、
まして此島の有様伝聞ては、
各もだえこがれけるこそむざんなれ、
道すがら旅の寒さこそ哀を催しけめと、
推量せられて哀也、
せんどにまなこさきだつれば、
とくゆかんことをかなしみ、
きうりに心をとうずれば、
はやく帰らん事かたし、
或は海辺すいたくの幽かなるみぎりには、
蒼波眇々として、恨心綿々たり、
或は山関よう谷のくらき道には、
巌路峨々として、
ひるはゆうゆうたり、
さらぬだに旅のうきねはかなしきに、
更る夜の月のほがらかなるに、
夕つげ鳥かすかに音づれて、
遊子残月に行けむ、
凾谷の思ひ出られてかなしからずと
いふ事なし、

さつまがたとは惣名也、
きかいは十二の島なれば、
くち五島は日本へ随へり、
おく七しまは
いまだ我朝に従はずといへり、
白石、、あこしき、くろ島、
いわうが島、あせ納、
あ世波、やくの島とて、
ゑらぶ、おきなは、
きかいが島といへり、
くち五島の内、

少将をば三のとまりの
北いわうが島に捨て置く、
康頼をばあこしきの島、
しゆんくわんをば白石がしまにぞ捨置ける、

彼島には白鷺多くして、石白し、
水の流に至るまで、
波白くぞ見えていさぎよし、
かかりければ白石島とは云けるかや、
せめては一島にも捨てられたらば、
なぐさむ方も有るべきに、
遥なるはなれ島どもにすて置きければ、
かなしきなどいふも愚也、

流罪される 南西諸島について 述べているが 2,3 取り違えている箇所もある。 少将:硫黄島 康頼:甑島 俊寛:白石島 に捨て置き 其々別々に流刑させられ 余計寂しさが募ったことだろう。 ☆こがの杜 古来の船着場 ここから流刑地へ 実際は鹿児島の祇園の洲で 外洋船に乗り換えて



考察


pin.gif

今でこそ
癒しの島々と
脚光を浴びている
南西諸島や薩摩だが
当時は
鳥も通わぬ僻地

都落ちし流刑の身
西も東も判らぬ
孤島に独り

いつ帰れるかも
知れない我が身を
嘆き悲しむ
毎日だったことだろう。

六所権現の聖地
霧島山を仰ぎ見て
神仏にすがる様が
痛々しい。

この俊寛らのほかにも
当地へ流刑された
和気清麻呂は
有名だが