伝説の人

徐福を訪ね
探り求めて二十年

徐福像

串木野市の歴史家三善善一郎氏のご好意により著書「伝説の人徐福を訪ね、探り求めて20年」を掲載

8.冠岳と方士徐福に関する文献

 
pin.gif 桂庵玄樹 は 五百余年の昔 将軍義間政の時41歳で 大内氏派遣の遣明船に随員として参加し 明に滞在すること七年に及んで1473年に帰朝した。 当時京都は 応仁の乱で僧徒は都を捨てて 地方に離散する状況にあったので 雪舟を頼って石見に帰った。 そして 1478年 嶋津第11代の太守 十六歳の忠昌の師伝として薩摩に来た。 桂庵は 朱子の学をはじめて 日本の正統儒学として弘め、 朱子新註の大学章句や延徳版大学を 再版した歴史的にも有名な学僧である。 この学者の著した 「島隠漁唱」 の中に 冠岳は蓬莱(古代日本を中国はこう呼んだ)の 仙府(仙人が棲んでいる邑である)である。

 
pin.gif 方士徐福 は 始皇帝の命によって 童男童女工員数十人 (ある書には数千人とある) 樓船を駕して(大船に乗って)仙薬を求めて来冠して 茲に栖止(一時棲んだ)したのである。と記した。 すなわち、 「文明成戊孟夏十有一日、予隋太字、 遊千冠岳教寺、境佳而人傑也、山冠又仙者、 昔秦徐方士、駕樓船而求薬於蓬莱之仙府、 始来此地脱彼衣冠、而著我

 
pin.gif また、桂庵はつぎのように冠岳を詠んでいる。 徐福曾従海外来 初知日域是蓬莱 仙園花木春常有 祝得邦君萬壽盃 仙楽花飛絃管楼 満筵佳士喜清遊 主人有徳境彌顕 一岳高フ冠九州 従一神人来脱冠 仙山景象遶天壇 層岩萬丈絶巓水 雨不添深旱不乾


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