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桂庵玄樹
は
五百余年の昔
将軍義間政の時41歳で
大内氏派遣の遣明船に随員として参加し
明に滞在すること七年に及んで1473年に帰朝した。
当時京都は
応仁の乱で僧徒は都を捨てて
地方に離散する状況にあったので
雪舟を頼って石見に帰った。
そして
1478年
嶋津第11代の太守
十六歳の忠昌の師伝として薩摩に来た。
桂庵は
朱子の学をはじめて
日本の正統儒学として弘め、
朱子新註の大学章句や延徳版大学を
再版した歴史的にも有名な学僧である。
この学者の著した
「島隠漁唱」
の中に
冠岳は蓬莱(古代日本を中国はこう呼んだ)の
仙府(仙人が棲んでいる邑である)である。
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