伝説の人

徐福を訪ね
探り求めて二十年

徐福像

串木野市の歴史家三善善一郎氏のご好意により著書「伝説の人徐福を訪ね、探り求めて20年」を掲載

3.仙人の道

 
pin.gif 1970年代の日本は、 歴史的には政治経済が 大きくその流れを変えようとする時代であり、 日本へ佛教が伝わったのは 歴史的には 欽明天皇の時538年若は552年と いわれているが 日本での佛教公伝というこの佛教とは 現代の何宗で何派何流に 当たるものであったろうか。 滝沢馬琴(1767〜1848)が 著した椿説弓張月の一説に
@西方に聖人あり、よく衆生を済度して苦を救い楽を与える。   これを佛と名付ける。 A東方に聖人あり、よく凡夫を哀みて福を授け禍を祓い死して亡びざる、   故にこれを神と称す B中央に聖人あり、真理を修め寿を保ち天地と共に滅ぶ時がない、   これを仙(ひじり)と呼ぶ。
我が道は この三つを兼ね神通出没不可思儀なり。 我は名もなく霞を飲み雨に浴(ゆあみ)し雲をもて家となし、 又乗物とするから蒙雲と呼ぶ 。。。。云いとある。 中央は今の中国、 東方は日本、西方は勿論インドを指すものだろう。 神仙思想、仙教を伝える者を「方士」というのであるが この仙教は 古代中国に起きた独特の宗教とも云うべきものであり 発生的に道教そのものではなく、 不老長生の方術巫術を行うもので 道教を伝える道士とは異なるものと考えるべきである。 古代中国では この神仙思想にもとずく 他界思想により海中に楽園として 竜宮城などが観念され 或いは 不老長寿の仙人が住むところとして 東方の海中には蓬莱、扶桑などと呼ぶ島、 日本があるとしていたのである。 又庭園を造り池を掘り島を築いて そこに住むという風習もあったのである。 その頃日本では 帰化人の子孫といわれる蘇我馬子は 島の大臣(おとど)と呼ばれ 日本の造園家たちが古典的庭造りの祖として 祀るのもこの他界思想、宗教に基ずく 樽家(すみか)に住んでいたからである。 又我が国では奈良時代までは 特に神秘主義や風流な神仙思想が幅をきかせて 長生不死の仙人を崇拝する思想があったと歴史は伝えている。 「馬子は平素三宝に帰依し、 飛鳥川の傍に家し庭中に小池を開らき小島を池中に 作る故に時の人島の大臣という」 と三国名勝図会上巻182頁冠岳三所権現の項にもある。 日本に伝わった佛教とは 先ずこの中国に発生したこのような神仙教が 外来の宗教や思想として 早くから伝流していたことは間違いないと思うのである。


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