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神社一覧 南九州


止上神社


尾牟礼山


contents:

○鎮座地/○御祭神/○神事・例祭/○由緒/○概要/○隼人の抗戦蹟/○お田植祭/○旧修験道/○考察

鎮座地

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隼人コース
隼人史跡巡り順路

  • 所在地: 鹿児島県霧島市国分重久 北緯31度46分18秒,東経130度47分31秒
  • 連絡先: 国分(0995-45-5111)
  • 交通 : 林田バス:国分〜霧島行:止上下車歩2分


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御祭神

No 神社名 位置所在 名称
祭神 摘要 備考
3 止上神社 主祭神

日子穂穂手見尊 豊玉姫命

六所権現祭神 *B霧島六所権現
相殿

邇邇芸命 木花之佐久夜比売 鵜葺草葺不合命 玉依比命 六所権現祭神 *B霧島六所権現


境内 秋葉神社 斎火武主比命 奥津日子神 奥津比売神
火の神 三国名勝図会には無



境内 大隅命墓(隼人の首長:弥五郎?)






参道 三之社 豊姫命
(神功皇后の妹)
磯良命
(海人・安曇氏の祖)




参道 三之社 武禦槌命
(相撲の神)鹿島神宮
経津主命
(交渉・協議の神)香取神宮
事代主命
(大国主命のお子)

*@


参道 三之社 火照尊
(海幸彦)
大隅命
(隼人の首長:弥五郎?)
大己貫命
(大国主命)

*A


尾牟礼山山頂 山神祠
六所大権現


*B霧島六所権現 本尊薬師如来(錫杖院)


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神事・例祭

例祭名概要摘要
3上旬お田植祭田の神舞、剣舞旧正月24日
7御幸祭神舞、地区を廻る


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由緒
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  ■創建は不詳
  ■寛久10年():
    止上権現御祭之事
  ■天文9年(1540):
    止上権現御祭之事
  ■永禄7年(1564):
    止上権現御祭之事
  ■慶長19年(1614):
   知行目録
 ■寛永4年(1627):
   修甫の覚書
  ■享保5年(1720):
    本社宝殿再興
  ■享保9年(1724):
    吉祥院へ祭神預り覚書
  ■享保21年(1736):
    修甫のための遷宮次第
    本社並びに両善神王
  ■元文元年(1736):
    乗林寺 改築寄進
  ■元文4年(1739):
    乗林寺 覚遍書写し寄進
 ■天和2年():
   御高札式目
 ■享和元年(1801)
   寺社方写書
 ■慶長19年(1614):
   知行目録
 
 ■霧島六所権現の総社として鎮座
   
  ■景行天皇の熊襲平定や創建の伝承がある。
 ■古文書や神舞面・神王面など50数面保存
 
舞鶴城鎮護の五社大明神の一社



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概要


朱の鳥居(八幡型)

古い鳥居(八幡型)
残欠で寛延二巳(1749)の石柱がある。
両脇に三社有

鳥居からみた境内

参道の祠

豊姫命・磯良命、

事代主命・武禦槌命・経津主命

秋葉神社の石碑碑文

秋葉神社の石碑隣にある手洗鉢
亨保拾七年(1732)

参道の石碑(墓?不明)
弥五郎の墓?

本殿と拝殿

拝殿

本殿

拝殿と御神体の尾牟礼山

尾牟礼山山頂付近

尾牟礼山山頂の石碑
古来は六所権現の石祠六個

石碑碑文(亨保18年:1733)

お田植祭のべぶ(牛)

お田植祭の田の神

べぶに砂をかける子等

2001:田植祭の神事(かゆ箸)
こよなく愛された後藤さんも

別当院「乗林寺」蹟 中央〜右
バックは尾牟礼山

別当院「乗林寺」住職墓
バックは尾牟礼山

奉納舞(復活した太鼓踊り)

お田植祭の田の神


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隼人の抗戦蹟


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この付近には
隼人族と中央との
抗戦の蹟が散見される。

隼人塚(首塚)
亀の甲塚(丘)
弥五郎
比売之城

猪切藪
この神社の辺りは 「隼人の抗戦地」で 捕虜となった隼人を 斬首した地には慰霊碑がある。 ==== 続 日本記」巻八-15 ===== 養老5年秋7月巳酉(722) 征隼人副将軍従五位下笠朝臣御室、 従五位下臣勢朝臣真人ら帰る。 斬りし首、獲し虜合せて千四百余人 ================================= 隼人首塚 この塚は 「隼人の首塚」といい、 捕虜となって斬首された 隼人族の霊を慰たと云われる。 「猪切藪(ししきりやぶ)」 ともいう。 周辺の水田を 真板田(まないただ) と呼び、 毎年、1月14日を狩猟の日として、 この日獲れた猪の肉を33本の串に差して 隼人の霊を鎮める祭りをしたと伝承される。 斬首された血で小川は 深紅に染まった. その小川はいつしか 「手籠川(てごがわ)」 と呼ばれるようになった。 昔は、 「にえまつり」とか「ほぜさあ〜」ともいい、 正月14日の「餅の日」には、「ほぞえ祭」があったが。。 ====>>「ほぜさあ〜」という名称で呼ばれる祭りとしては、 霧島神宮の秋の例祭(11/23)がある。 こちらはどちらかというと 『豊穣』「豊年感謝祭」の色合いが濃い。 # にえ(なえ)汁:野菜などは全て刻まないで煮る。


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お田植祭
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  • 境内の「舞庭」は、注連縄(しめなわ)で囲み、 ここが神聖で特別な場所(ゆにわ)であることを 人々に明示する。
  • 「たんかんさ〜」に降臨して頂く為に、 この区域を祓い清め、清浄な聖域とする神事を行う。
  • また、内と外を隔てて、不浄にふれさせないように結界する。
  • 四隅に立てられる青竹のことを「忌竹(いみだけ)」 といい、「斎竹」ともいう。
  • 注連縄(しめなわ)には、神籬を垂らし (ひもろぎ:一般に榊に紙垂=しでを付けたもの)、 注連縄を目立たせて、縄の所在をはっきりさせる。
  • 神主が両手で持っている竹は「かゆ箸」といい、 細竹2本を供結びして、鉾型の御幣とモロの実を付ける。

打植祭

(正月二十四日ベブ)
  1. 神事は三回ほど行われ、先ず、社殿内で氏子や参列者を お祓い清め、次に境内をお祓い清め、 最後に「舞庭」を結界する。
  2. 神事が終ると、奉納舞の剣舞や長刀舞が、 笛、太鼓等の雅楽に併せ厳かにかつ優美に舞われる。
  3. いよいよ、「たんかんさ〜」の登場である。 女物の晴れ着を着て、蓑笠をかぶり、 ひょっとこ風の面を付け、 左手に「しゃもじ」、右手に錫杖を持ち、 「田の神舞」これまたユーモラスに舞う。
  4. 「田の神舞」の後には、「田耕し」「畦とり」 が続く。 農民に扮した氏子によって、ユーモラスに興じられる。 時には、見物人との掛け合いも飛び交い楽しい 即興劇が繰り広げられる。
  5. 「田耕し」が一段落して一服していると、 綺麗に整地された後を壊す農民が現れ、 押し問答で滑稽な仕草が展開するが、 なかなか作業が捗らないので、いよいよ牛(べぶ)に よる「田耕し」となる。
  6. 牛も江戸時代の頃は、牛の台車を引いていた ようだが、現在では、牛のお面をかぶって、 牛になりきり興じる。
  7. 「田耕し」が終りに近ずく頃、俄に見物の 子供達が飛び出し、舞庭に盛ってある「神砂」を とって、そのべぶめがけて投げつける。。
  8. これは田ならしで牛が泥をはねる様を現し 泥がかかった子供は健康に育つといわれるが ここでは仕草は逆である。
  9. べぶはたまらず、子供達を追い廻し祭りも クライマックスとなる。


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考察
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三国名勝図會
ご神体の「尾牟礼山」について
  1. 古文書(三国名勝図会)によると、 「昔、御神体はこの神社の東方の 尾牟礼山に鎮座された」 とあり、鳥居もあったらしい。 只社殿はなく山がご神体とある。
  2. 急坂をあえぎながら登ったら 山頂に写真の様な石碑と石祠が建立されていた。
  3. 一基有に60kgはありそうな。。 よくぞこんな山頂に。
  4. 三国名勝図会によると、 「六個の石祠は六所権現なり」 とある。当時は6個あったものと思われるが。
  5. *B六所権現は霧島山中に点在する。 次のような事由でここに鎮座されたと推察する。
    • 国府から参拝する時間・労力を軽減する 所謂六所権現の「総社」として鎮座
    • 霧島山噴火で社殿焼失等、参道の修復等
    • 殿様のご容態(高齢で遠路参拝困難)
ご祭神について
  1. 参道の三之社(*@A)は現在の鹿児島神宮と 同じ祭神だが「大国主命」系があるのはなぜ? 隼人抗戦を終結させた事を意味するのか。 それともこの辺りで天災(洪水や山崩れ)が あったのだろうか。
  2. 祭神からして「隼人系神社」であることは 疑念の余地はないのだが、 現存する神社の古文書に仔細は無い。
  3. 隼人抗戦前は、「隼人族」の守護神を 祭っていたのでは。
  4. 敗戦以後、大分宇佐地方から統治に派遣された 朝鮮系の人々によって改変されたらしい。 当地には、その名残の地名や建造物が 幾つか存在する。
  5. 三国名勝図会記載は「権現色」が濃厚なので、 江戸時代中期頃の改変とみるが。
  6. 大隅の地主神(大隅命)が祭祀されていた 記載はある。
  7. 本殿の西方に鎮座する「若宮」、「隼風」は 現在は無い
  8. また、参道には「門守神」もあったようだが 現在は見当たらない。
  9. 古文書には「興津彦神・ 興津姫神・かぐ鎚神」を 祭祀した時期があったようだ。 ==>>天文九年(1540)書留
  10. 「興津彦神・ 興津姫神」「かぐつちの神」 この上止神社では「釜」の守として祭祀した様
  11. 三国名勝図会には祭祀されていない。 ==>>この図會は天保の頃(1830〜1847)
  12. 現在(2007/5)は、境内に「秋葉神社」の手水鉢がある。 亨保拾七年(1732)
  13. 推察するに、この記録以前に大火か社殿焼失が あったのだろうか。
  14. 同じような「火の神」は、松永・花山の 公民館の庭にも田の神と鎮座しているが。
「トガミ」について
  1. 「トガミ・トノウエ」を国土地理院で検索すると、 一応大分方面を。 ● 戸上神社 (とのうえじんじゃ) / 福岡県北九州市門司区 ● 戸上電機工場 (とがみでんきこうじょう) / 佐賀県佐賀市 ● 戸上 (とうえ) / 大分県竹田市 ● 西戸上 (にしとうえ) / 大分県竹田市 ● 戸上 (とのうえ) / 大分県豊後大野市犬養町 ● 戸上 (とがみ) / 大分県玖珠郡玖珠町 他に ●臼杵市には「戸上小学校」 ● 戸上 (とかみ) / 鳥取県米子市

  • 参考史資料: ☆止上権現宮 遷宮 亨保21年(1736):   国分郷土史 資料編 参照 ☆三国名勝図会

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    旧修験道
    pin.gif この尾牟礼山頂霧島の六所権現社 をまとめて置き 参拝したと古記にはある。 その江戸時代の 修験道ルートが、 現在の公民館横の用水路を 登りつめた処から 山頂へと延びている。 昨年正月明け(2007/2) 歴史探訪の仲間のお誘いで ご案内したのだが 久々に登ったため さっぱり要を得ない。 それもそのはず その後の風水害で シラス土壌の絶壁を 削って通した道は 無残にも崩落し 見る影も無い。 山林の持ち主の方か その数十メートルの崖に 梯子をかけて 登るようにしてあった。 それを伝って 何とか山頂へ辿り着いた。 そこで昔のショットを探したら 出てきたのでここに記念に アップする。 初期の30万画素デジカメ 鮮明ではないが。。 尚撮影日:2001/3/19
    この道は、 切り通しあり滝有り小川有りの ちょっとした小規模の渓谷風だった。 何となく落ち着くいい場所だったが。 残念だ。

    
    
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    平家物語俊寛が鬼界ヶ島に
    流罪されるが
    都落ちし当地の
    こがの杜へ向う道中で
    この霧島山の
    六所権現
    についての
    下りがある。
    
    
    平家物語・長門本
    日向国西方が 島津の庄 に着給ふ、 彼庄内にあさくら野と云所に、 ひとつの峯高くそびえて、 煙りたえせぬ所あり、 日本最初の峯、霧島のだけと號す、 金峯山、しやかのだけ、 富士の高根よりも、 最初の峯なるが故に、 名付て最初の峯といふ、 六所権現の霊地也、 彼いただきに巌穴あり、 長時に猛火もえ上りて、雲に續く、 いつとなく黒砂ふり下りて、 すゑ何千里とはかる事なし、 然れども彼峯を 何の本地ともしらざりけるを、 はりまの国、書写の山を建立してける、 證空上人彼峯に登山して、 我この神の本地を拝み奉らんと 誓ひ給ひて、 七日参籠して、 法花経をどくじゆせられける、 五日といふ子の刻ばかりに、 大山震動して、岩崩れ、 めう火もえて、 ことに煙りうずまきて、 暫ばかりして、 廻り一二丈そのたけ十余丈ばかり ある大蛇の、 角はかれ木の如くおほひかかり、 眼は日月の如くかがやきて、 大にいかる様にて出来給ふ、 上人是を御覧じて、 此山の有さまを見るに、 もとより龍宮じやうとは ぞんぜられ候ぬ、 思ふにすゐじやくは龍のすがたにて あつし候か、 本地をこそ拝み奉度候へ、 とくとく本地を現はさせ給へ、 あしくもげんぜさせ給ふものかなとて、 はたと守り奉る、大蛇本地に帰りぬ、 つぎの日の未の刻計に、 三尺計なる大鷹の尾ふさの鈴を ふりならして、 めう火の中より飛び出て、 前なる平岩に居たり、 しやうくう腹を立て、 龍をだに用ひ奉らず、 いはんやいやしき野鳥のすがたをば 用奉るべきや、 然らば心眼ともにひらきて、 仏体を拝み奉らんとこそ思ふに、 見仏せざらんには、 双眼ともに無益なりとて、 どこを持て双眼をささんとし給へば、 鷹去てしばらく計して、 十一面の観音光明かくやくとして 幻のごとくにて見えさせ給ふ、 その時上人夢うつつともわかず、 ずゐき申ばかりなくして涙を流されけり、 性空上人心中のせいぐわんには、 こんど仏たいを拝み奉程ならば、 法華の行者と成て、彼教に従ひて、 衆生をけどせんと誓はる、 したがひて心願成就のうへは、 法華を殊に信仰し給へり、 此煙の中より光さして 末のとどまらん所を、 我在所と定めんと思召されけるに、 煙の中より光をさして、 はりまの国書寫にとどまる、 よてかの所をこんりうして、 長きすみかとし給ふ、 かかるごんけの人の徳を ほどこし給へる峯なれば、 成経も参籠して拝まばや、 我さつま方へ行なん後は、 二たび故郷にかへらんことかたし、 しやさんして後世をたすからんと 思ふはとありければ、 預りの武士なさけある者にて、 何かくるしく候はんとて、 具し奉り参りたり、 殊に地ぎやうすぐれて、 眺望世にこえたり、 ためし少き所也、 少将あまり名残をしくして、 七日参籠して、法華廿八品、 尺の石の面に書寫してこめ奉りて、 そとばを作り、 五輪をきざみ、 梵漢両字を書きなどして、 忘れがたみを残し、 梅桜をみづから植置き、 さまざまに、 彼山にかたみをのこしなどして、 御宿に下向あり、 少将月日の重るにつけても、 ただ故郷のみ恋しくて、 暮にも及びければ、 今様をうたひ、 らう詠をしなど心をすまし、 涙を流し、 いつとなくしほれたる御有さま也、 心あるも心なきも、 互に袖をぞしぼりける、


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