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神社一覧 南九州


南方神社 えびの市


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鎮座地/御祭神/神事・例祭/由緒/概要/


鎮座地

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所在地マップ
    ■所在地: えびの市西長江浦椿堀 北緯32度1分2秒,東経130度48分44秒 ■連絡先:  えびの市(0984-35-1111) ■交通 :  JR吉都線、えびの駅下車 車15分  タクシー予約、2007年で千円前後


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御祭神

No 神社名 位置所在 名称
祭神 摘要 備考
2 南方神社


事代主命 建御名方主命







門守神
豊磐間戸命 櫛磐窓命







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神事・例祭

例祭名概要摘要
3中旬春祭り
8最終日曜大太鼓踊りAM10(出水),PM1(境内)旧7/28
1123豊穣祭

 
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○由来と祭り次第
大太鼓踊り は、 地元民は親しみを込めて 「ウデコ踊」、「ウバチョ踊(大ばち)」 と呼ばれる。 祭りの分担地区は次の通り。 ○春祭り 長江川下流の三地域 灰塚・永山・大溝原 ○夏祭り 西長江浦区

大太鼓踊りの由来

太鼓踊りは 旧島津藩の各所に 分布伝承されている。 島津氏の朝鮮出兵の折、 戦勝祈願に奉納したのが 起源とされるが ここの神社拝殿の板額によると 「三人兄弟の末弟が 兄の知略にも負けず 根の国から生還したことを祝い、 姫神や村人が踊ったことに由来する」 とされている。 奉納の順序にも 一定の決まりがあり 現在では式順は次の通り
AM10:   麓の出水家の前で奉納舞 AM10:30〜11:30: 出水家〜南方神社   鉦方が先触れで参道を神社へ、   鳥居を潜り先ず奉納   次に境内で奉納 PM1:00〜3:30 本番の大太鼓踊り奉納 前・中・終と3回の奉納舞があり その繋ぎで地元民の歌謡ショーや 踊り連の奉納がある。
伝承によると、 この霧島地方に 「観音信仰」の布教に 尽力された「性空上人」が居られる。 上人がえびの高原の池を訪れた際 観音様が具現され 白鳥になって飛び立った。 その池を 「白鳥池」と命名され 観音信仰の聖地とされた。 また、 権現信仰により、 霧島をご神体とする 六所権現社を説かれた。 上人が この地を布教で訪れた時、 出水家が 丁重に歓待され それに感謝された上人が 楊枝を地に挿し 水を噴出させ 干害による水不足を救った。 それ以降、 先ずこの「出水」の前で奉納 するようになったと伝承する。 旧来は、 この出水、弁財天(厳島神社)、 南方神社他を廻り 白鳥神社を踊り納めとした。 古くは鉦門(かねかど)、 大太鼓門(おおだいこかど) があって、 各家で世襲制だった。 太鼓方は12名。 浴衣の着流しに白脚絆、 草履履き 直径90cmの太鼓を抱え、 3mの矢旗を背負う 「大太鼓」は 普通の太鼓の3倍はある。 鉦方 親鉦1名、子鉦1名 各1名が陣笠をかぶり 先導役を務める。 他はシデ笠を被る。 装束は紺の着流しに兵児帯、 黒足袋に雪駄ばき。 左手に鉦、 右手に撞木を持つ。 踊りの奉納には 「水神」「山神」「祖霊」 の他、 虫送りや豊年祝いの要素も 加わっていると 考えられる。 尚、この地区では 「雨乞い祈願」と伝承されて いる。 鉦方の2列を中心に 太鼓方が時計廻りに踊り 勇壮活発な踊りが展開される。 お話では、 今年で438年目だそうな。 それも中断する事無く 継承されている。


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由緒

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○南方神社由来
旧記には次が見える

日向国諸県郡加久藤村

諏方大明神社

長江浦村にあり祭神常の如し
神体、鏡2面、
古社にて応永十年(1403)大願主式部承義兼
建立の棟札を蔵む
祭祀7月二十八日
社内に燕尾(竹前)大小五拾本を蔵む
社司黒木氏

====== 三国名勝図会 =====

■明治元年(1867): 諏訪神社に改名 ■明治4年(1871): 南方神社に改名


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概要


鳥居と参道

拝殿

社殿(拝殿・本殿)

境内

境内(ステージ)

境内(見物席の石段)


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考察

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  1. なぜここに「諏訪」を勧請したのだろうか。 「諏訪」と言えば「龍神」、水害・水難からだろうか。 海岸縁で且つ河川もある。洪水や津波の被害を想定するが。
  2. 一説では、鎌倉武家集団の間で「諏訪詣で」が盛んだったと伝う。 鎌倉下向武士団の島津が奨励したのだろうか。
  3. 諏訪大社に関しての初見は次のようだ。 『日本書紀』巻三〇持統五年(六九一)八月辛酉《廿三》◆辛酉。 遣使者祭龍田風神。信濃須波。水内等神。


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○大太鼓踊り○
えびの市「南方神社」
2007/8/26
今日は、 えびの市で「大太鼓踊り」見物だ。 この16日 加治木町の「太鼓踊り」を見物した。 炎天下 父が夢中になって懸命に見ている姿が いじらしかった。 今回は、大太鼓。 どの位の大きさがあるのか 興味をそそる。 肥薩線、吉都線廻りで 都城直通の電車があるので それで出掛けることにした。 いつものように 7時の朝食だから父の負担も無い。 9時前の電車でえびのへ。 えびの駅には10時過ぎ到着した。 無人駅でホームはスロープだった。 スムーズに移動できたのだが、 改札が狭くて通れない。 あれほど、 切符購入時確認を御願いしたのに いい加減な対応で「吉松がやるから」と。。 駅に誰か来るかと暫く待ったが、、 迎えのタクシーを呼んで、運転手の方と 狭い改札を通した。 タクシーで約10分(1000円程度)で 西長江浦の南方神社に11時前に着いた。 こじんまりとした森の中の鎮守。 会場の準備は完了していて、 受付担当の氏子さんが数名おられたので お話を伺った。 氏子さんがお住まいの集落は、 ここを下った所にあるとのこと。 なるほど、 さっき来た道が山の中へ延びている。 その集落からは山道を登ること10分位。 昔の参道の先には 鳥居が木漏れ日の中に見え隠れする。 祭りは10時、 先ずその麓の「出の水」で 神事と奉納舞を行い。 この鎮守の境内は 午後1時からだと聞いた。 また、 先触れの「鉦」がその前に境内に到着する とのことで、 旧参道の鳥居の前で待機していると 11時頃、 賑やかな鉦の音が近ずいてきた。 大鉦、小鉦それぞれ5名が、 その鳥居を潜った辺りで 暫く奉納楽を。 そして50m先の境内でまた鉦を叩き奉納舞の 先触れは終った。 ちょうどお昼となったので、 父に持参した食事をと。 しかしうっかりして それを盛る食器を忘れてしまった。 いつも散歩に出掛ける時は、 クーラーボックスに 父の介護食や冷たい物、食器を入れる。 先日の祭りも炎天下、 冷たい物を詰め込んだら 満杯で食器が入らない。 今回はザックへ移すのを すっかり忘れてしまった。 先にヨーグルトを食べさせ、 その小瓶にスープを 移し少しずつスプーンで介助した。 1時過ぎ大太鼓舞が始まった。 流石に大きい。 前回の加治木の物の倍以上だ。 受付の方に聞いたのだが、 サイズも重量も判らなかった。 只、 絶えることなく 438年間継承されてきたとの お話だった。 舞は先触れの鉦と大太鼓の競演。 時に静かに波打つ鉦に合わせて 太鼓に刺した幟が揺れる。 鉦の音が強くなると舞いも勇壮に激しさを増す。 そのリズムで30分ほど続いた。 境内で、このパターンを3ステージ奉納されるという。 この境内は木陰だから未だしも、 もしこれが 加治木のような道路の炎天下なら、 こんなに乱舞出来たのだろうか。
やはりこの地のなせる技ではなかろうか。 父も初の大太鼓に圧倒され魅了されていた。 夢中になってカメラを廻していたら、 見物人の方が、 父が手を引っ張ってしきりに 何やら懇願していると教えて頂いた。 さては排便かと、 隣に臨時の駐車場でオムツを 換えていたら俄かに夕立が来た。 少々蒸し暑かったのでさほど気にもならず 取り換えは完了した。 排便は思いのほか少なかった。 やはり汗で出たのだろうか。 3時過ぎ3回目の大太鼓奉納は終った。 見物の方にタクシーを呼んで頂いて 駅に着いたら、何とさっき出たばかりだった。 今回は、帰りの便を調べていなかった。 ま、開催時間を事前にチェックするを忘れたので 遅い終了をと半ば諦めていたのだが。。 それでも数分の遅れで2時間近く待たされるとあっては。。 仕方無いの反対の都城へ出て帰宅した。 途中の小林辺りから車窓を激しい雨音が叩く。 外は見えない位の土砂降りだ。 しかし反対の車窓は青空が見える。 どうも高千穂の山方面が降っているようだ。 乗り換え駅の都城では小雨でホーム間の 屋外での乗り換えも濡れ無くて助かった。 父が疲れたようだったので、 帰途の車中では リクライニングを倒し寝かせて。。 嬉しかったのか、「汽笛一声、、、」と 十八番を口ずさんでご機嫌だった。 こちらは都城から熟睡してしまい危うく乗り過ごす ところだった。 帰宅したのは6時過ぎ。 今日持参した物を夕食に。 介助を終え、早々に床に着いた。 いい祭りだったな。


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