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神社一覧 南九州


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龍宮の亀石


contents:
★鎮座地/★御祭神/★由緒/★神宮の歴史/★神事・例祭/ ★概要/★摂社:石体神社・末社:保食神/ ★時宗の聖地/★郷土玩具/

鎮座地

 
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○所在地:  霧島市隼人町宮内 ○連絡先:  鹿児島神宮(0995-42-0020) ○交通 :  ■隼人駅から歩15分  ■バス (循環バスか霧島行)で神宮前下車  ■バス鹿児島空港から鹿屋行   京セラホテル前下車歩15分  ■隼人塚から223号線を霧島連山を眺めながら   北上する旧街道はお勧め。   西郷や龍馬に思いを馳せて。。  ■隼人駅下車の場合、   駅前でレンタル自転車が便利
  
  隼人コース
隼人史跡巡り順路


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御祭神

No 神社名 位置所在
祭神 摘要 備考
鹿児島神宮







延喜式神名帳 大隅国一宮大社


本殿
日子穂穂手見尊(山幸彦) 豊玉姫命(妃)



海幸彦・山幸彦 古来の地主神か


相殿
14代・仲衰天皇
(帯中津彦尊)
神功皇后(妃)
(息長帯姫命)
*15代・応神天皇
(品陀別尊)
中比賣皇后(妃)

*宇佐八幡大神
熊襲討伐
神功皇后は朝鮮新羅進攻
宇佐神宮の別宮時代あり

四所神社 境内
*大雀命(16代仁徳天皇) *荒田郎女命 *根鳥尊 岩姫命(16代妃)

*八幡神(15代応神天皇)のお子等 仁徳天皇の妃には
髪長媛
都城市早水神社

武内神社 境内
武内宿禰




景行〜仁徳天皇に使え功労・武勲 巨勢・平群・葛城・蘇我の祖とも

隼風神社(ハヤカゼ) 境内
日本武尊




熊襲討伐の勇・拍子橋伝説 14代仲衰天皇の父君
旧紀では鉾、もしくは豊玉彦

雨之社 三の坂前
豊玉彦尊
(航海の神)





綿津見神之尊・紀の父君 旧記では猿田彦、明治に変更か

御門社(ミカド) 御神橋畔 櫛磐間戸尊




随神
豊磐間戸尊




随神

三之社(ヤシロ) 二之鳥居前 火照尊
(海幸彦)
隼人の祖
大隅尊
(隼人の首長:弥五郎?)




俳優(わざおぎ) 天皇の守護
豊姫命
(神功皇后の妹)
磯良尊
(海人・安曇氏の祖)






武禦槌尊
(相撲の神)鹿島神宮
経津主尊
(交渉・協議の神)香取神宮




2神とも抗戦の交渉・協議神、春日大社の主祭神 国譲神話・相撲相手は建南方

末社
稲荷神社
本宮後方 宇賀魂命
(豊受姫・保食神・穀物の神)
大宮売命
(天鈿女命・芸能の神・神舞)
猿田彦尊
(道祖神・大宮売命と夫婦)



嶋津藩の氏神として勧請 稲荷は秦氏の祖霊神とも
猿田彦尊は旧記では「雨宮」に鎮座、明治に変更か

末社
山神神社
本宮後方 大山祇尊




木花咲耶姫の父君(祖父) 春里に降り「田の神」にもなる

末社
大多羅知女神社
本宮後方 息長帯媛命




14代仲衰天皇の妃 神功皇后だがどうして末社?

摂社
石体神社
北東 日子穂穂手見尊




旧高千穂宮址 延喜式の頃の鹿児島神社址

末社
保食神社
参道入口 宇賀魂命
(豊受姫・保食神・穀物の神)





初午踊りの開始地点

守護分社(神宮史p29)

No分社名所在地摘要備考写真
1:西方荒田八幡鹿児島市下荒田西方守護
2:北方正若宮八幡勝栗神社:栗野町米永北方守護
3:東方投谷八幡大隅町大谷昔は神宮の東に位置した随神東方守護
4:南方鹿児島大明神下宮神社:垂水市南松原町(垂水中隣)昭和20年戦災で焼失南方守護

 
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  1. 鹿児島神宮を核として東西南北を守護する。
  2. この範囲からしても当時、正八幡は広大な社領地を 有していたことが何える。
  3. 2度の元寇の抗戦に大勝利を治めたのは 「八幡様の神風の御加護」と 絶大なる信奉を得た宇佐八幡宮 その岩清水八幡宮の傘下にあった鹿児島神宮も 勢力を伸ばしつつあった武家集団が 原野を開墾しては社地として 競って寄進していたようだ。 ===>>宇佐神宮史参照
  4. 日子穂穂手見尊(彦火火出見尊:山幸彦)が ご神体の山岳修行の霊山
    • 屋久島:宮の浦岳
    • 熊本県球磨郡水上村:市房山
    • 大隅・串良:国見山
  5. 火照尊(海幸彦)がご神体の山
    • 桜島
    • 尾牟礼山(霧島国分)

その他の勧請社(分社)

No神社名所在地 摘要(勧請由来等)備考
1的野正八幡宮崎県都城市山之口和銅三年(710)勧請す弥五郎祭
2早馬神社宮崎県北諸県郡三股町島津貴久(1550頃)奨励
3正八幡社大分市永興(りょうご)天平二十年(748)頃745:近江地震多発飢饉関係ありか?
4天満神社?延岡市北川町臼杵郡田貫田:蒙古襲来後の浮田荘元弘3(1333)頃:日向国図田帳
5串間神社串間市串間(日向北方駅近)彦火火出見尊の狩場伝承
6月読神社鹿児島市桜島町横山旧御岳蔵王権現社桜島の祭神は「火照尊」伝承あり
7月読神社肝属郡串良町有里旧一ノ宮大明神例祭10/17,秋祭11/23
8大元神社鹿児島市桜島町松浦松浦の奉納舞あり桜島の祭神は「火照尊」伝承あり
9八幡神社(旧正若宮八幡宮)鹿屋市吾平町中福良応神天皇・鹿児島神宮四所分霊明治4年麓から現在地へ遷座
10大川内神社鹿屋市吾平町麓彦火火出見尊
11西宮神社鹿屋市吾平町上名彦火火出見尊
12深田神社いちき串木野市野元宮脇彦火火出見尊
13松山神社志布志市松山町新橋祭神不明・応神天皇か旧正若宮八幡社
14田上八幡神社日南市飫肥弥五郎祭
15蒲生八幡神社蒲生町大人隼人一時期別宮
16正八幡神社姶良町(桜公園)一時期別宮
17飯富神社隼人町東郷彦火火出見尊
18小烏神社加治木町反土(新生町)彦火火出見尊
19小烏神社鹿屋市野里彦火火出見尊
20新田神社児湯 郡新富町彦火火出見尊JR日向新富駅車10分・イブクロ

勧請社マップ

  1. 今後追記します。


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神事・例祭

例祭名概要摘要
17七種祭
2初午祭馬踊り、奉納芸能旧1/18
4藤祭りかまど市旧3/10
6御田植祭苗代田植え、奉納芸能旧5/5
7六月灯
87七夕祭御神宝かげ干し宝物陳列
9例大祭十五夜神事・隼人舞旧8/15
10ご神幸(お浜下)浜の市迄行列旧8/15

初午
初午祭
お田植祭
お田植祭
浜下り
浜下り
隼人舞
隼人舞(6分)


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由緒

 
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  1. 延喜式神名帳では、大隅國一宮「鹿児嶋神社」
  2. 創建は、御祭神の 日子穂穂手見尊(山幸彦)豊玉姫命が示すように、 遠く神代の時代に始まる。
  3. また、平安時代に編簒された説話集の 今昔物語に 次のような一説がある。(第拾弐巻) ==京都大学電子図書館「今昔物語集」への招待より抜粋
    
    

    於石清水行放生會語第十

    今昔、八幡大菩薩、前生ニ此ノ國ノ帝王ト御シケル時、 夷□軍ヲ引将テ自ラ出立セ給ケルニ、 多ノ人ノ命ヲ殺サセ給ヒケル□。 初メ大隅ノ國ニ八幡大菩薩ト現ハレ在シテ、 次ニハ宇佐ノ宮ニ遷ラセ給ヒ、遂ニ、 此□石清水ニ跡ヲ垂レ在マシテ、 多ノ僧俗ノ神人ヲ以テ、員ズ不知ヌ生類ヲ令買 放メ給フ也。然レバ、公モ、此ノ御託宣ニ依テ、 諸國ニ放生ノ料ヲ宛テ、其ノ御 願ヲ助ケ奉ラセ給フ。此レニ依テ、 年ノ内ニ此ノ放生ヲ行フ事无量シ。 然テ、毎年ノ八月十五ヲ定テ、 大菩薩ノ寶前ヨリ宿院ニ下ラセ御マシテ、 此ノ放生ノ員ヲ申シ上グルニ、大キニ法會ヲ儲テ、 最勝王經ヲ令講メ給フ。其ノ故ハ、彼ノ經ニ、流 水長者ガ放生ノ功徳ヲ、佛説給フ故也。然レバ、 此ノ會ヲ放生會ト云フ。然テ、 其ノ下サセ御マス儀式實ニ嚴重ナル事、 新タニ御マス時ノ如シ。公モ此ノ御 行ヲ貴ビ奉ラセ給テ、行幸ニ准ヘテ上卿宰相ヲ始テ、 弁・史・外記等、皆、 参テ事ヲ行フ。亦、六衛府ノ陣モ、 各、兵杖ヲ帯シテ仕ル事、行幸ニ不異ズ。何ニ况ヤ、
  4. 八幡大菩薩は、先ず大隅の国、 すなわち現在の石体神社に鎮座され、その後 宇佐へ遷座されたとある。 本宮が正八幡を賜わる結縁である。 この京都の石清水八幡宮は、宇佐八幡宮から勧請された。 他に鎌倉鶴岡八幡宮がある。
  5. 鹿児島神宮史は、この「八幡」の本家争いを 次のように伝えている。 当宮を正八幡と云うが故に宇佐から十五人の使者が 来ていずれかが正八幡宮であるかを調べて 遂に当宮に火を懸けた。 所が其の火は七日七夜が間燃えて、七日目に至り、 煙の中に正の字が現れた。 そこで宇佐の者も当宮が正八幡宮であると 承知して帰ったが、その中の十三人は途中で死んだ。 それが十三塚原である。 他の二人は宇佐に帰り、よく物を云うことが出来ず、 只手真似をして絶命した。皆神罰を被ったのである。
  6. また、別の伝承は、次のようである。 ==>>石清水文書(天承2:1132) 宇佐の神主等が、当宮を正八幡と云うのを信じないので、 三人の使者を使わして是を火かしめた。 所が石体たちまち割れて中に正八幡の文字が現れた。 三人の使者は大いに恐れて逃げ帰ったが、 一人はその場で死に、一人は途中で死に、 最後の一人が辛うじて宇佐へ辿り着き亡くなった。 皆是神罰を被ったとある。
■ 石体信仰について ■ ご神体の「大岩」は、旧神社(現石体神社)にあり 毎年神事が行われる。 また一方の宇佐神宮の御神体山「御許山(おもとやま)」には 三巨石を祀る「石体権現」があり 八幡信仰以前から祭祀されていた。


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神宮の歴史
年号西暦摘要備考出典
欽明5年 535 八流の幡降来り 社家伝
欽明29年 559 八流の幡降来り 宇佐託宣・宇佐神宮史
大宝3年 703 薩摩国府を置く 国府は川内高城 続日本紀・他
和銅元年708 正宮建立 遷座:石体==>>現在地 今昔物語、三国名勝図會
和銅6年713 大隅國を置く 割日向國肝坏。贈於。大隅。姶羅四郡。始置大隅國。 国分に大隅の国府 続日本紀・他
和銅7年714 平定のため、豊前国から移民す(200戸) 隼人昏荒。 野心未習憲法。 因移豊前國民二百戸。 令相勸導也。 続日本紀・他
養老3年719 大隅・日向隼人襲来打傾日本國 宇佐神宮史
養老4年720 大隅国守陽候史麻呂(やこのふひとまろ)殺害に発する抗戦 大宰府奏言。 隼人反殺大隅國守陽侯史麻呂。 続日本紀・宇佐神宮史
養老5年721 隼人討伐1,400人 征隼人副將軍從五位下笠朝臣御室。 從五位下巨勢朝臣眞人等還歸。 斬首獲虜合千四百餘人。 続日本紀・宇佐神宮史
天平宝宇8年764 海に島が出現 西方有聲。似雷非雷。 時當大隅薩摩兩國之堺。烟雲晦冥。奔電去來。 七日之後乃天晴。於麑嶋信尓村之海。沙石自聚。 化成三嶋。炎氣露見。 有如冶鑄之爲。形勢相連望似四阿之屋。 爲嶋被埋者。民家六十二區。口八十餘人。 続日本紀
宝亀9年778 新造島鎮護・大穴持神社創建,当宮官社 去神護中。 大隅國海中有神造嶋。 其名曰大穴持神。至是爲官社。 続日本紀・社伝
延永5年927鹿児嶋神社 国幣社 延喜式神名帳
長元年中 1028-1037 造営 大隅國正八幡宮 菖記雑録・宇佐神宮史巻2-564p
長元4年1031大宰府では元命をして大隅国八幡宮を検地せしむ神宮史p13*宇佐神宮史巻2
*岩清水八幡宮記録
寛治2年2月1088藤原寛政、神輿を射たるを議す12月伊豆國に配流宇佐神宮史巻3-119p
岩清水八幡宮記録
寛治2年11月1088宮損失の神實を修造せしむ宇佐神宮史巻3-126p
岩清水八幡宮記録
寛治2年11月1088大江匡房の勘文、藤原通俊の議奏に、大隅國正八幡宮を宗廟と講す宇佐神宮史巻3-132p
岩清水八幡宮記録
寛治5年12/131091大隅國正八幡宮、焼亡す宇佐神宮史巻3-154p
岩清水八幡宮記録
大日本史
嘉保元年11/121094大隅國正八幡宮、焼亡す宇佐神宮史巻3-176p
岩清水八幡宮記録
大日本史
承徳元年1097新宮遷座石体==>>現在地へ神宮史p27にあるがどうか?
保安2年1121禰寝院南俣村(根占)を同宮御馬所検頼清に貫首親助,大宰府領物負物等の代として宇佐神宮史巻3-264
天承2年1132大隅國正八幡宮境内に石体二基出現せるを報ず宇佐神宮史巻3-312,宮寺縁事抄,百錬抄
康治元年1142台明寺へ水田寄進僧侶行賢台明寺文書
建久3年9月1192禰寝院南俣地頭重信の佛神事井に領家年貢物を封棹するにより、地頭職を停止せられんことを請ふ正八幡宮神官等宇佐神宮史4-246
建久7年12月151196散在の荘園五箇所別宮を同宮弥勒寺に付す宇佐宮弥勒寺寺務成清の秦状により宇佐神宮史4-310
建久8年6月1197図田帳を注進す豊前・豊後・日向・大隅・薩摩宇佐神宮史4-316
正治元年9月51199正八幡宮を造営せしむ日向・大隅・薩摩三箇國の荘公田を支配して宇佐神宮史4-429
正治元年11月191199正殿造営の入柚・木作始日時を宣下す宇佐神宮史4-432
正治2年12月201199正八幡宮府行事官糧米等を勤仕せしむ同國の諸郡院荘をして宇佐神宮史4-444
建仁元年8月1201修理所為宗の濫妨を陳じ申す、介藤原某、安堵の外題を興ふ貫首酒井道吉宇佐神宮史4-520
建仁2年2月191202府行事官糧米等を返済せしむ薩摩國留守所宇佐神宮史4-468
承久3年5月111221同神領西郷溝部村等の為宗の妨を停止し、同宮貫首酒井道吉に領知せしむ弥勒寺本家公文所宇佐神宮史4-468
建長5年1253炎上*宇佐の別宮百錬抄,宇佐神宮史5-452
建長5年1253大隅・薩摩・日向の荘公田平均に支配す正八幡宮所司神官等宇佐神宮史5-454
建長5年1253当宮焼失の殿舎造営裁可さる宇佐神宮史5-456
建長7年1255社殿造営す大隅・薩摩・日向の荘公田平均に支配宇佐神宮史5-479
建治2年1276参拝一偏上人(時宗開祖)一偏上人絵詞
弘安7年1284幕府寄進す異国降伏祈願のため、豊前國上毛郡勤原村地頭職を寄進宇佐神宮史6-92
正應元年1288訴状嶋津荘荘官等、立荘以来260余年、造営を勤仕せざることを訴ふ宇佐神宮史6-215
嘉元2年1304正八幡神輿の上洛を止めしむ豊後国守護代、同國地頭御家人をして、門司に於て宇佐神宮史6-421
正中3年1326正八幡神面破壊の行為守護赤橋秀時が日向国守護所宛文宮崎県の歴史p99
正平4年2/181349炎上
応永14年1407造営
文安4年1447炎上
長禄元年1457造営島津忠国社伝
大永7年1527本田が火を放つ島津vs本田社伝・台明寺文書
享禄3年1530/3/7柱建島津貴久,日秀上人社伝
享禄3年1530/6/29遷座島津貴久,日秀上人,初午祭始まる社伝
天文二十年1551御尊体奉発注島津貴久社伝
永禄2年1559遷宮島津貴久三国名勝図会・社伝
永禄3年1560御尊体奉安島津貴久社伝
宝暦6年1756造営島津重年社伝


見頃は12/15前後(駐車場)

 
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  • 建長5年(1253): *宇佐の別宮とあるのは「岩清水の九州五所八幡宮」を指す ==>>榊葉集、神書しょう
    1. 大隅国・正八幡宮
    2. 肥前国・千栗宮(佐賀県三養基郡みやき町)
    3. 肥後国・藤崎宮(熊本市)
    4. 筑前国・大分宮(福岡・筑穂町)
    5. 薩摩国・新田宮(鹿児島・さつま川内市)
  • 鎌倉初期からは、「岩清水」の勢力下、それ以前は「宇佐」

    皇室御参拝

  • 昭和47年9月13日:皇太子殿下・妃殿下
  • 昭和59年5月21日:天皇陛下

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    概要


    第一鳥居(正八幡鳥居:独自型)

    三之社と第二鳥居(神明型)
    左(南):火照尊・大隅命

    三之社北側

    三之社南側(火照尊・大隅命)

    第二鳥居から御神橋

    御門社

    第二坂

    雨之社と第二坂

    境内

    境内社(左から:四所・武内・隼風)

    四所

    武内

    隼風(はやち)

    本殿(中央)右は四所

    拝殿と本殿

    桜満開の参道

    勅使殿

    桜満開の境内と勅使殿

    桜満開の参道

    おみくじ

    銀杏

    銀杏

    社殿配置

    境内配置

    鹿児島神社

    石体宮・弥勒院


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    考察

     
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    ご神体について
    1. 日子穂穂手見尊(彦火火出見尊:山幸彦)がご神体の山岳修行の霊山
      • 屋久島:宮の浦岳
      • 熊本県球磨郡水上村:市房山
    2. なぜこの山岳なのか今後の調査が愉しみではある。

    御霊と陵墓

    1. 各所の神社のご祭神は主に「御霊」を祭るが陵墓はどこなのだろううか。
    2. 隼人の始祖と伝承される火照命(ホオリノミコト)だが、 陵墓も妃も不明、果たして??
    社領地

    1. 鹿児島神宮史(p29)によると、 分社は、鹿児島神宮を核として東西南北を守護する。 鹿児島市の荒田八幡、栗野の正若宮八幡宮、 恒吉町の投谷八幡、垂水市田上鹿児島大明神社 とある。
    2. 鹿児島神宮史によると 四所別宮に次が列記されている。 姶良八幡・荒田八幡・栗野八幡・蒲生八幡
    3. この範囲からしても当時、正八幡は広大な社領地を 有していたことが何える。
    4. 勢力を伸ばしつつあった武家集団が競って寄進していたようだ。
    5. また、隼人の末裔「弥五郎」に由来する祭りが 次で盛大に開催される。
    6. 昔の鹿児島神社はこの辺りまでも社領地としていたのだろうか。
      確かに指宿開聞神社も一時期包括していたようだから かなりの勢力だったことは伺える。

    古代からの依処

    1. 古代からこの神宮辺りに居住していた痕跡が近年再度発見された。
    2. この縄文時代の貝塚は、境内からも、かなり以前発掘されている。
    3. 神宮西側の参道口の遺跡は、貝殻層の断片を垣間覩ることができる。

    歴史的背景
    
    
    1. 「八幡神」とは一体何?
    2. 秦氏の氏神と云われているが、「秦氏」は何者
    3. 「八幡神」をなぜこの地に降旗したのか?
    4. 古代からの拠り所だったこの地に「隼人族」の社があったのか
    5. 旧地名は「桑」を冠する字が多い。 和名類聚抄に表記されている地名:桑原郡 大原(オオハラ): 大分(オオイタ); 豊國(トヨクニ); 答西(イヤ): 稲積(イナズミ): 広田(ヒロタ): 桑善: 仲川(ナカカワ)國用中津川三字:====>>牧園町中津川
    6. また「桑」や「秦」「幡」苗字も多い。
    7. 当地はカルデラ台地の畑作で、 古来より「養蚕」や「煙草」の産地である。 「養蚕」:日当山村 昭和8年度は285戸3094枚
    8. 天降川(旧大津川)の上流、霧島川の下流域 旧夕暮れの関辺りには、 良質の砂鉄があって刀鍛冶屋が軒を連ねていたそうだが。
    9. それとも山ヶ野(横川)からの流失砂金でも採れたのだろうか・ 鉱脈の発見は江戸時代初期(1640)ではあるが
    10. 温泉の硫黄や水銀は、昔はお化粧の材料(伊勢白粉おしろい)に なっていたと云うからその採取積み出しの地か?
    11. 「八幡神」の宇佐との抗争の歴史的背景は何か?
      • 当時の宇佐神宮では「秦氏」系は主要ポストの 禰宜を司っていなかった。
      • 抗争に破れ当地の末裔を頼ってきたがそこに追っ手が。。 推測の域を出ないが。 今後史資料を精査すれば見えてくるだろう。
      • 数度の抗争(八幡本家争い)や焼失もきな臭さが 漂うのだが。
    12. 当地の鹿児島神宮史には次のようなくだりがある。(p26)
      
      ☆八幡愚童訓☆
      
      
      「継体天皇の御世、
      中国の陳大王の娘
      大比留女(おおひるめ)が
      七歳にして
      朝日を受けて懐妊し、
      生まれた子と共に
      空船(うつろふね)
      に乗せられて流され、
      大隅八幡崎に着いた。
      
      生子は
      ここで正八幡となって
      隼人を討ち、
      生母は筑前香椎(かしい)
      に飛んで
      聖母(しょうも)大菩薩
      となった」
      
      
      
      
      これは岩清水の僧侶が説法したものと言われている。 この説法の真偽はともかくとして、「八幡神」の「異国神説」と 先ず「大隅八幡崎」に降臨したとあるのは興味深い。
    13. 弘安7年(1284): 幕府寄進す 異国降伏祈願のため、 豊前國上毛郡勤原村地頭職を寄進 (宇佐神宮史6-92 ) 元寇が大船団で2度日本に奇襲を駆けたが、 台風の影響で難破し四散した。 『神風』が吹き日本は救われたとする思想が根底にあり 「八幡神」への信奉が高揚し「宇佐八幡宮」は 隆盛を極めることとなる。 当地の八幡宮もこの「報償」を賜っている。 2006/5現在: 福岡県東部の築上郡上毛町(こうげまち)は、 旧上毛郡から命名したとある。
    14. 鹿児島神宮史(p27)には、 「承徳元年(1097)に新宮遷座されている」とある、 しかし、三国名勝図会には「正宮は和銅元年建立」とあるのだが。 新宮として遷座建立したのであれば、 宇佐神宮史にも散見されるはずだが。 見出せなかった。 但し、神宮史のp15「調所文書」を引用すると。 建治2年(1276)8月に、 石体藤太郎なる者が見えて居るのを思えば 石体宮は既に正宮の摂末社の一つであって。。 いずれにせよ今一つ理解しがたいのだが。
    15. 神宮史には神体山として後方の御壇山をあげているが 遷宮当初は、南方に泰然と控える「桜島山」だったのでは。 天承2年(1132):宇佐神宮史巻3-312,宮寺縁事抄,百錬抄 大隅國正八幡宮境内に石体二基出現せるを報ず の後、この出現した場所(御壇山)を ご神体にしたとも考えられる。
    16. 大分市永興(りょうご)に勧請された「正八幡宮」
      • 天平二十年(748)というと、 宇佐の「八幡神」が東大寺地主神に勧請された歳だが、 関係ありか または、「放生会」との繋がりか。
      • この「永興」だが、中国の湖南省にある。 「古来の正八幡」は、この渡来族の「祖霊社」だったのかもしれない。 伝承の「先ず大隅崎に降臨し、、、」の意味が見えてくる。
      • 又翌年には 天平勝宝元年(749)八月壬午《廿一》◆壬午。 大隅。薩摩兩國隼人等貢御調。并奏土風歌舞。 とあるが。
      • あるいは天平二十一年(749) 陸奥守百済敬福、黄金九百両を進す、 依って百二十両を八幡神宮に奉る。 とあるのだが。。
      • 平凡社「地名辞典:大分県」大分市 によると。 豊後守護大友頼泰は、幕府内での対立から 逃げるためにもあって管内豊後国に下向するが その時大隅国正八幡宮大神宝用途調進を 管國を越えて指揮する特殊権限を与えられた 文永2年12月26日(1265):関東御教書案
    17. 宇佐八幡と正八幡の記紀等の初見は? ===>>続日本紀
      • 宇佐八幡 天平九年(737) 四月乙巳朔◆夏四月乙已朔。 遣使於伊勢神宮。大神社。 筑紫住吉。八幡二社及香椎宮。 奉幣以告新羅无禮之状。
      • 正八幡 宝亀9年(778) 去神護中。 大隅國海中有神造嶋。 其名曰大穴持神。至是爲官社。

    時宗の聖地
    1. 島津藩が、この時宗を加護し 初代島津忠久〜5代貞久まで時宗の法号を取っている。
    2. 建治2年(1276)、その時宗の開祖一偏上人が 参拝されたと一偏上人絵詞にある。
    3. これにより、時の大隈正八幡宮は「時宗の聖地」 として脚光を浴びることとなる。
    4. 一遍上人は、道後の人で四国と云えば弘法大師、 石鎚山は修験道のメッカだ。 「熊野権現」を崇拝されたのも頷ける。 当地に「権現」が散見されるのはその影響だろうか。

    正八幡四社家
    ☆正八幡の神主の「四社家」として 次が家系として存続している。
    No社家名系統摘要所在地備考
    1桑幡火照命代々正宮の神主の家系宮内鹿児島神宮史には「香春神社下向」が見ゆ
    2留守岩清水より下向宮内
    3最勝寺九条右相丞師輔日当山
    4嵯峨天皇の家系歴代の墓地宮内


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    郷土玩具

    鯛車

    鯛車
    鳩笛

    鳩笛
    ぽんぱち
    初鼓(はつずみ)継承者と父
    ぽんぱち
    初鼓(はつずみ)
    香箱
    香箱

     
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    1. 鯛車や香箱は「海幸彦・山幸彦」神話に肖った玩具です。
    2. 初鼓(はつずみ)は、地元では「ポンパチ」 もしくは「はずん」と呼びます。
    3. 春を呼ぶ「初午祭」で踊る馬に飾りとしても。
    4. この初午祭りを皮切りに当地の鎮守では、 「お田植え祭」が開催されます。


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